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皆神山
,→王仁三郎との関わり
* 第二次大戦末期の大本営移転(首都移転)は、王仁三郎の[[経綸]]によるもの。<ref name="kake0525">『[[新月の光]]』0525「御避難所」:「陛下の御避難所は信州皆神山に用意出来ている。道路も立派に出来ているのである。王仁が経綸に行った。」</ref> <ref name="kake0632">『[[新月の光]]』0632「大石凝先生との初対面」:「大石凝先生には長沢先生の家の帰り道、汽車の中で会ったので、王仁の事を話したら不思議な事だと言って一度来いと言われて、先生と信州の皆神山へ行ったのである。そうして先生は皆神山に陛下がおいでになると言われたので、王仁は神様に綾部と聞いていると言ったら、一番は皆神山だと言われた。」</ref>
* 皆神山は数十万年前の噴火によって出来た噴火口の跡にある。噴火口に出来た湖水の上に浮き出ていたので「水上山」と呼ばれるようになった。<ref>{{kgm|413|噴火口と蓮華台}}:「本宮山、亀岡、皆神山は共に噴火口の跡にあるので蓮華台をなして居るのである。(略)水の上に浮き出て居つたから、水上山の名称が起つたのである。」</ref>
* 霊界物語には「皆神山」という言葉は出ないが、[[霊界物語]]に「皆神山」という言葉は出ないが、[[第79巻]]・[[第80巻]]に同音異字の「[[水上山]](みなかみやま)」が登場する。
* 昭和31年(1956年)9月、[[皆神神社]]境内に大本関係者によって木花咲耶姫神社(富士浅間神社)が建立された。<ref name="B195402c8142">『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c8142|巡教}}」内「信州巡教と皆神山登山」:「一九五四(昭和二九)年九月、教主による皆神山登山があり(略)'''一九五六(昭和三一)年九月には長野主会と信越の宣信徒が協力して、皆神山に木花咲耶姫神社社殿が新築'''されたので、ふたたび教主の登山があった。一五日に亀岡をたって長野市に一泊し、一六日の完成祭に臨席した。地元松代町では商工会・氏子総代・松代大本会など全町をあげて協力し、祭典には八田町長・小林町会議長・町民・信徒等八〇〇余人が参拝、春原宮司が'''教主染筆の神体を、旧社殿の木花咲耶姫の木像とともに鎮祭'''した。祭典後、教主は松代町への社殿引渡し式をすまして、上田市へたちより、一九日に帰亀をみた。」</ref>
* 昭和46年(1971年)春、皆神神社境内に王仁三郎の歌碑が建立された。「地質学上世界の中心山脈の十字形せる珍の神山」「天霊の聖地に些しも違はざる尊き神山皆神の山」の二首が刻まれている。