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辻天水
,→略歴
* 昭和13年(1938年)辻天水と[[三雲龍三]]が元伊勢籠神社の奥宮・真名井神社に参拝した時に、三雲に「真名井竜神」が懸かることによって神示の伝達が始まった。昭和18年頃まで様々な神示が降ろされた。「たま問答」「貴の神火山」「天の巻」「美火木物語」「三界物語」「三元の理」「雑」「二名稿」の全8巻から成り、これを「[[竜宮神示]]」と総称する。<ref>中矢『大本裏神業の真相』p.201, pp.215-216, p.233</ref>
* 辻は三雲を伴い日本全国の霊山、聖地に赴き、精力的に神業を行った。<ref>中矢『大本裏神業の真相』p.201</ref>
* 昭和17年(1942年)、辻は保釈出所した王仁三郎と亀岡で面会した。王仁三郎は「この短冊があるところが神業の中心地である」と言って御神体となる短冊を辻に授けた。それは王仁三郎が自ら認めたもので、「大国常立大神」の御神号の下に「金山彦神」「金山姫神」という御神号が書かれていた。王仁三郎はこの御神体を辻に授ける際に「近江で祀り、淡路に渡り、後は伊勢(北伊勢)に入ることになる」と告げたという。辻が近江で御神体を祀った後、再び王仁三郎に指示を仰ぎに行くと「次は淡路島で元井戸を掘るんや」と指示した。この元井戸はすでに[[白山義高]]が掘り進めていたが、何も出て来なかった。王仁三郎はこの元井戸が「大国常立大神」が出現する穴だと教えた。 →「が掘り進めていたが、何も出て来なかった。王仁三郎はこの元井戸が「大国常立大神」が出現する穴だと教えた。元井戸は昭和19年10月に完成し、敷地内に小さな祠を建て、王仁三郎から下付された御神体(銀色の短冊)を祭った<ref>[[武智時三郎]]『[[淡路の神秘]]』の、[[白山義高]]が書いた「まへがき」p.11</ref>。 →「[[淡路島神業]]」
* 昭和19年(1944年)2月、神示を降ろす霊媒(神主)だった[[三雲龍三]]が軍に召集された。三雲は翌年1月、上海で戦病死する(享年31歳)。<ref>『[[三雲龍三神示と神一厘の仕組]]』p.342</ref>
* 辻は「昭和20年8月15日、夫婦松のあるところに茜大神(注・大国常立大神のこと)を祀り、汝はそこに入るがよい」という神示を与えられており、それを実行するため夫婦松を探した。ついに自宅近くの三保山<ref>辻家が所有する山だった。不二「知られざる大本裏神業」p.17</ref>に樹齢200年の夫婦松を発見し、そこに茜大神を祀る小さな社を建立した。これが「[[錦之宮]]」の発祥である。