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大本の拠点となった四谷愛住町76番地の建物は、信徒の梅田きよの大きな二階建ての別荘である大本の拠点となった四谷愛住町76番地の建物は、信徒の[[梅田きよ]]の大きな二階建ての別荘である<ref>『[[大本関東教区七十年史]]』p108</ref>。ここが昭和6年(1931年)以降、大本の東京における活動の重要な拠点の一つとなった。
四谷
,→愛住町
== 愛住町 ==
[[ファイル:四谷愛住町地図(大正元年).jpg|thumb|四谷愛住町76番地(赤矢印)近辺の大正元年(1912年)頃の地図。]]
[[ファイル:四谷愛住町地図(昭和7年).jpg|thumb|四谷愛住町76番地(赤矢印)近辺の昭和7年(1932年)頃の地図。]]
[[ファイル:四谷愛住町地図(昭和16年).jpg|thumb|四谷愛住町76番地(赤矢印)近辺の昭和16年(1941年)頃の地図。]]
昭和6年(1931年)4月か5月頃、[[人類愛善会]]東洋本部を霞ヶ丘町から愛住町に移す。<ref>『[[大本関東教区七十年史]]』p131:「さらに日出麿先生は、四月二八日の午後九時過ぎ、東京駅に直日様とともにお着きになり、紫雲郷別院の開院式を中心に約一ヵ月滞在された。 駅からただちに和田堀の紫雲郷別院にお入り。翌日、産土神なる大宮八幡宮に参拝。以後、身体の各部に鈍痛をお感じになりながらご活動がはじまる。この間、人類愛善会の東洋本部が四谷愛住町七六に移る」</ref>