明治五年大蔵省布達第百十八号
明治五年大蔵省布達第百十八号(めいじごねん おおくらしょうふたつ だい118ごう)とは、明治5年(1872年)に発布された「大蔵省布達」の118番目で、同年8月末日に発布された。
概要
第118号には様々な禁止事項等が列記されており、その中に「許可無く社寺を創立してはいけない」という旨がある。
(略)
無願にして社寺 地蔵堂 稲荷の類 創立致し候儀従前の通禁制たるべき事
(略)【注意】上の文でカナは原文では片仮名である。また「地蔵堂 稲荷の類」は割書になっている。
「布達」とは明治初期の法令の形式で、各種の行政命令である。明治19年(1886年)2月26日に「公文式(こうぶんしき)」が定められたことで廃止された。さらに明治40年(1907年)には「公式令」が制定された。正式には「大蔵省布達」のようだが、「大蔵省達」とも呼ばれる。
第一次大本事件の際に当局からこの布達及び大正二年内務省令第六号を根拠として本宮山神殿の取毀命令が出された。
世間の書物等において第一次大本事件を説明する下りで、大蔵省達ではなく「太政官達」と書かれている場合がある[1]。それはそもそも当局から出された命令自体に「太政官達」という間違ったことが記されているからである。太政官とは各省の上に置かれた、当時の最高官庁である。太政官達なら法律としての効力があるが、大蔵省達は法律ではないという意見もある。なぜ当局が太政官達と大蔵省達を間違えたかというと、そもそも当局(京都府警察や内務省、法制局)が布達をよく知らなかったからだと指摘されている[2]。
第二次大本事件の際も、この布達が適用された。昭和11年(1936年)3月18日に京都府は出口王仁三郎・澄子に対して、大本の施設は明治五年大蔵省布達第百十八号に違反しているため5月15日までに綾部・亀岡・穴太の全建物を破却せよという命令書を出し、従わない場合は行政側で破壊するのでその費用を負担せよという戒告書を出した。[3]