鬼三郎(きさぶろう、おにさぶろう)は、出口王仁三郎が用いた名前の一つ。
明治31年(1898年)上田喜三郎(王仁三郎の幼名)は高熊山修業の後、斉藤仲一宅に教会場を設けて、布教や幽斎の研究を行っていた。
ある日、密かに出修に行けとの神示があった。そこで斉藤だけに話して、母には心配しないようにと書き置きを残して出かけた。この書き置きに、ふと「鬼三郎」と署名した。「鬼」は喜三郎の「キ」と音が通じるため、「きさぶろう」と読んでもよいと思ったのである。
後に開祖の筆先で「おにさぶろう」と命名されたので名前を「王仁三郎」と改めた。
参考文献