聖師伝 (映画)
この項目では、映画について説明しています。その他の用法については「聖師伝 (曖昧さ回避)」をご覧ください。




聖師伝(せいしでん)は、昭和10年に制作された、出口王仁三郎の自伝映画。王仁三郎自身が監督となり撮影された。
概要
昭和7年(1932年)頃から大本は宣伝に映画を積極的に活用するようになった。昭和10年(1935年)8月、王仁三郎は自ら監督・主演の映画『昭和の七福神』を撮影。同年10月からは映画『聖師伝』の撮影が始まった。
映画部は神劇部と連携して聖師伝のうち「霊山修業」の撮影を一〇月八日から始め、曽我部村の法貴谷・犬飼で高熊山修業の場、天恩郷で神界旅行の場、小幡神社およびその附近で高熊山下山・生母との対面の場、小幡神社の裏山で十六神将の場、天恩郷透明殿で寺小屋の場、神島で冠島沓島開きの場、穴太や天恩郷で幼年時代のロケをおこない、一八〇〇呎《フィート》のものを制作配給するまでに仕上げた。一一月九日には天恩郷東光苑国防館のとなりに映画撮影所を設置するため地鎮祭をおこなっている。
11月5日、王仁三郎は神島にて映画『聖師伝』の神島、冠島、沓島開きの場面を撮影、8日帰亀。[1]
11月11日、天恩郷、穴太、亀岡町内等にて「幼年時代」を撮影。王仁三郎は終始監督指導に当たる。12日まで。[1]
第二次大本事件が勃発したため、映画は公開されなかったようである。
脚注
- ↑ 以下の位置に戻る: 1.0 1.1 「大本年表」