太白星
太白星(たいはくせい)は、霊界物語に登場する星。
概要
主なエピソード
- 第2巻第39章「太白星の玉」#:鶴若は赤い玉(黄金水の十二個の玉の一つ)を奪われ、丹頂の鶴に変じて啼いていた。太白星の精霊・生代姫命はそれを気の毒に思い、「黄金水の宝に優れる貴重なる国玉」として新たな十二個の玉(太白星の十二個の玉)を与えた。
- 第78巻第16章「天降地上」#:葦原比女の神の一行は、上弦の月の右下に金星が、右上に土星が輝いているのを見た。これは三千年に一度の天の奇現象であった。朝香比女の神は、月は葦原比女の神を、土星は天津神の光が褪せていることを、金星は国津神の中から光が現れることを現していると説く。そこで葦原比女の神は、天津神を国津神に、国津神を天津神に任じ、葦原の国土の改革を断行した。
現実の太白星
太白星とは金星の別名である。太陽系第2番惑星。
地球より内側(太陽側)にあるため、日の出前と日没後にしか見ることが出来ない。そのため古代は別々の星と見なされていた。
明け方に見える金星を明けの明星、夕方に見える金星を宵の明星と呼ぶ。
月と太白星
- 王仁三郎は大正10年(1921年)2月12日の第一次大本事件の当日、上弦の月と太白星が白昼の空に輝くのを見た。 詳細は「第一次大本事件」を見よ
- それからちょうど3年後の大正13年2月12日、やはり同じような天文現象を目撃し、蒙古行きを決意した。 →詳細は「入蒙」を見よ
- 霊界物語の天祥地瑞には、上弦の月と太白星、そして土星が輝く現象を見て、天津神と国津神を入れ替えて、葦原の国土を改革したというエピソードが記されている。 →詳細は「第78巻第16章」を見よ
大本神諭における太白星
次の2ヶ所に出る。
- 大本神諭 明治31年旧8月7日#:「宵の明星が東へまはりなされたならば、世界には変事があるから」
- 大本神諭 明治33年旧12月11日#:「宵の明星、ぐるぐると廻りて、不思議を啓示せども、気の付く人民無いぞよ」
霊界物語に記された次のセリフや宣伝歌は、上記の大本神諭を背景にしたものと思われる。
- 第5巻第34章「水魚の情交」#:(地中海を西南に向かう船の中で、ある郷の神人が祝部神に対して言ったセリフ)「なほも吾々として訝しきは、宵の明星いつの間にか東天に現はれて非常の異光を放ち、その星の周囲には種々の斑紋現はれ、地上の吾々は何事かの変兆ならむと心も心ならず、郷の神人に選ばれて吾もまた西南指して進むのであります。果して何の象徴でありませうか」
- 第28巻総説歌#:「三千世界の人類や 禽獣虫魚に至る迄 救ひの舟を差向けて 誠の道を教へ行く 神幽現の救世主 太白星の東天に きらめく如く現はれぬ」(救世主)
- 第64巻上第2章「宣伝使」#:「三千世界の人類や 禽獣虫魚に至るまで 救ひの御船を差向けて 誠の教をさとし行く 神幽現の大聖師 太白星の東天に 閃く如く現はれぬ」(大聖師)
宵の明星とは、日没後に西の空で輝いて見える金星のことである。宵の明星が東へ回ったら、それは明けの明星となる。
西洋の思想では、明けの明星を堕天使ルシファー(サタン)に[3]、宵の明星を大天使ミカエルや救世主イエス・キリストに比定する場合がある。悪または善と解されるものが実は同一のものの二つの側面であるという意味が、上記の大本神諭に暗示されていると考えることも出来る。
仏教とキリスト教における太白星
仏陀は菩提樹の下で瞑想中、明けの明星を見た瞬間に悟りを開いたと言われている。この成道を記念して行われる行事が成道会(じょうどうえ)である。その日は日本では(旧暦の)12月8日とされるが、東南アジアの上座部仏教系ではウエサク祭として5月の満月の日に行われる。
一方キリスト教では、聖書のマタイ福音書に、イエス・キリストの生誕に当たって東の方からエルサレムにやって来た博士たちの、次のようなエピソードが記されている。博士たち(人数は3人だと言われている)は「星」を見て、ユダヤ人の王が生まれたことを知り、その子を拝みにやって来た。メシヤはベツレヘムで生まれていた。東方で見た星が先立って進み、学者たちはその後を追う。星が止まった場所の家(馬小屋だという伝承がある)に入ると、幼子が母マリヤと共にいた。彼らは幼子を拝むと、自分の国に帰って行った。この「星」(ベツレヘムの星と呼ぶ)はどの星なのか諸説あるが、金星(西に見える宵の明星)だという説もある。
霊界物語の次の歌は、上記の仏教とキリスト教の神話を指していると思われる。