ビクの国
ビクの国(びくのくに)は、霊界物語に登場する国。月の国七千余国の一つだと思われる[1]。
概要
- 表記ゆれ:ビク国、ビク王国 (ビクトリヤ国と呼ばれることはない) [2]
- 初出:第53巻第2章「蜉蝣」#(ビク国)
- ビクの国は、ライオン河の下流にあるビクトル山を中心として、東西10里、南北15里[3]の余り広くない国。[4]
- 東にライオン河、西にビクトル山がある。[5]
- ビクの国は月の国の西端にあると思われる。シメジ峠を挟んでフサの国の玉木村とビクの国は隣接している。[6]
住民
次は第53巻から登場する。
- ビクトリヤ王:ビクの国の国王(刹帝利)。70歳。ウラル教を奉ずる。
- ヒルナ姫:王妃。元はビクトリヤ姫の侍女だった。23歳。右守ベルツの親戚[7]。
- ビクトリヤ姫:前・王妃。3年ほど前に帰幽。
- キュービット:左守。忠実な老臣。
- ベルツ:右守。国政を奪い取る野望を抱いている。軍部担当。
- ハルナ:左守キュービットの息子。カルナ姫の恋人。
- カルナ姫:右守ベルツの妹。ハルナの恋人。
- タルマン:宣伝使兼内事司、左守右守よりも上位。
- エクス:左守キュービットの家令。
- シェール:右守ベルツの家令。
次は第54巻から登場する。
次は第55巻から登場する。
- トマス:ビクトリヤ城の受付。
地名
次は第53巻から登場する。
次は第54巻から登場する。
次は第55巻から登場する。
- 北の森 (ビクの国):
- 清めの滝(清滝):照国山にある。
主なエピソード
- 第53巻
- ウラル教を奉ずるビクの国を、奸悪な右守ベルツが王妃ヒルナ姫に取り入って権力を握ろうとたくらんでいた。そこへ鬼春別・久米彦両将軍が率いるバラモン軍が攻めて来て、王・左守・右守らは捕まってしまう。しかしヒルナ姫とカルナ姫が両将軍を手玉に取り、国を解放した。王権が戻り、バラモン軍に城下を貸すという形になる。ビクの国に三五教の宣伝使・治国別の一行がやって来るという知らせが入ると、バラモン軍はビクの国から逃げ去った。右守一派が城を攻めるが、治国別の言霊に打たれ逃げて行った。王は感謝し国を挙げて三五教に帰依する。
- 第54巻第1~10章
- ビクトリヤ王は後継者がいないため悩んでいた。先妃との間に産まれた5人の男子が行方不明となっていたが、山に住んでいた5人を連れ戻し、長男のアールが後継者に定められた。しかし百姓の娘ハンナと結婚したいと言いだし、身分不相応なため王や左守は悩むが、治国別やヒルナ姫の賛成によって無事に結婚式が行われ、政治改革の象徴として国民から期待されることとなった。(第11~14章はフサの国の玉木村が、第15~17章は中有界が舞台となる)
- 第54巻第18~21章
- ビクトル山の頂上に立派な社殿が完成し盛大な落成式が行われた。そこで竜彦に神霊が懸かり、治国別一行は猪倉山に道晴別らを助けに向かう。(第22章は猪倉山が舞台となる)
- 第55巻第19~22章
- 失脚した元・右守のベルツは王を憎み、その怨霊によってビクトリヤ王は重病になるが、万公別によって怨霊は逃げ去った。フサの国の玉木村のテームス家で働いていたお民とアーシスがそれぞれビクトリヤ王と左守キュービットの落胤だと分かり、再会して歓喜の涙にむせぶ。(第55巻第1~18章は玉木村が舞台となる)
その他
- 「比丘」という言葉はビクの国に由来する。鬼春別将軍ら4人が頭を丸めて三五教を宣伝する修験者となったが、頭髪を剃って宣伝に回るようになったのはこの4人が最初であり、ビクの国から始まったため、頭を丸めて宣伝する聖者を、後世「比丘」と呼ぶようになった。[8]
- 「ビクトリヤ」と「ビクトリヤ」の表記のゆれについては「ビクトリヤ#ビクトリヤとビクトリヤ」を見よ
脚注
- ↑ ビクの国は月の国の一国であるということは、はっきりとは書いていない。読んでみた印象としては月の国である。
- ↑ 使用回数は、ビクの国70回、ビク国3回、ビク王国1回
- ↑ 「三十六町一里」と括弧書きしてあるが、これは1里の日本での一般的な長さである。1町(丁)=109mで計算すると36町は3924mになる。里 - コトバンク
- ↑ 第53巻第2章「蜉蝣」#:「ライオン河の下流ビクトル山を中心として、此処はウラル教を信ずるビクトリヤ王が刹帝利として近国の民を守つてゐた。此王国は東西十里、南北十五里(三十六町一里)の余り広からぬ国であつた」
- ↑ 第53巻第22章「天祐」#:「音に名高きビクの国 東にライオン川を負ひ 西にビクトル山控へ 要害堅固の鉄城を ここに築きて永久に 百の国民治めます ビクトリヤ王の御居城」
- ↑ 根拠は「シメジ峠」を見よ
- ↑ 第53巻第17章「奉還状」#:右守のセリフ「又ヒルナ姫は拙者が親族の娘、ヤハリ右守家の系統を曳いた者」
- ↑ 第55巻第22章「比丘」#章末:「偖治道、道貫、素道、求道の四人の修験者は刹帝利の依頼に依つて玉の宮の守護役となり、頭を丸めて三五の教を四方に宣伝し、代る代る各地に巡錫して衆生済度に一生を捧たり。頭髪を剃り落し教を宣伝に廻つたのは、此四人が嚆矢である。而してビクの国の玉の宮から始まつたのだから、後世頭を丸め衣を着て宣伝する聖者を比丘と名づくる事となつたのである。」