丹州時報
丹州時報(たんしゅうじほう)とは、京都府舞鶴市で発行されていた新聞。昭和6年から11年まで大本が経営していた。

略年表
- 明治36年(1903年)6月12日、創刊する(当初は隔日刊。後に日刊)。[1] [2]
- 経営困難に陥ったため、昭和6年(1931年)12月29日、臨時株主総会で解散を決議し、大株主の大本に経営を移譲した。[3]
- 翌7年2月8日、王仁三郎が社主、出口宇知麿が社長、土井三郎が副社長として発行を継続。[3]
- 昭和10年(1935年)4月13日、宇知麿の後任として萩原敏明が社長となり、経営を『人類愛善新聞』の傘下に収めた。[3]
- 丹州時報は大本教団が経営していたが、第二次大本事件の後、昭和11年1月28日に大本との絶縁を声明し、第二次大本事件に関する中傷記事を連日掲載するようになった。[4]
- 同11年7月7日、丹州時報社と北国夕刊新聞社を譲渡し、大本との関係は無くなった。[5]
- 昭和13年(1938年)6月頃の発行部数は、8千部(日刊)。[6]
- 戦時体制に絡み、昭和16年(1941年)3月に廃刊。[6]
- 昭和22年(1947年)に復刊するが、後に廃刊となった。[6]