「バラモン教」の版間の差分

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* 霊界物語に、バラモン教は[[大国別]]が[[イホの都]]で開いたという記述と、[[ウラル彦]]が[[常世の国]]で開いたという記述が混在している。これは「ウラル彦が大国彦や大国別に憑依してバラモン教を開いた」というようなことだと思われる。→「[[#ウラル教とバラモン教の関係]]」参照
* 霊界物語に、バラモン教は[[大国別]]が[[イホの都]]で開いたという記述と、[[ウラル彦]]が[[常世の国]]で開いたという記述が混在している。これは「ウラル彦が大国彦や大国別に憑依してバラモン教を開いた」というようなことだと思われる。→「[[#ウラル教とバラモン教の関係]]」参照
* バラモン教は「第二のウラル教」と呼ばれる<ref>ただしそう呼ばれているのは次の1ヶ所だけ。{{rm|15|1|破羅門}}:〈大国別、醜国姫の夫婦をして、埃及のイホの都に現はれ、'''第二のウラル教'''たる婆羅門教を開設し〉</ref>。そう呼ばれる所以は、2つある。一つは[[ウラル教]]を改造して作られた宗教ということ<ref>{{rm|15|1|破羅門}}:〈バラモン教は茲に鑑る所あり、ウラル教を改造して、真正の霊主体従教を樹立せしもの〉</ref>。二つ目はウラル彦が二回目に開いた(一回目はウラル教)宗教<ref>{{rm|41|7|忍術使}}:〈ウラル教は常暗彦の父ウラル彦の最初に開き給ひし教であり、バラモン教は常世国に於て、第二回目に開かれし教なれば〉</ref>だということである。→「[[#ウラル教とバラモン教の関係]]」参照
* バラモン教は「第二のウラル教」と呼ばれる<ref>ただしそう呼ばれているのは次の1ヶ所だけ。{{rm|15|1|破羅門}}:〈大国別、醜国姫の夫婦をして、埃及のイホの都に現はれ、'''第二のウラル教'''たる婆羅門教を開設し〉</ref>。そう呼ばれる所以は、2つある。一つは[[ウラル教]]を改造して作られた宗教ということ<ref>{{rm|15|1|破羅門}}:〈バラモン教は茲に鑑る所あり、ウラル教を改造して、真正の霊主体従教を樹立せしもの〉</ref>。二つ目はウラル彦が二回目に開いた(一回目はウラル教)宗教<ref>{{rm|41|7|忍術使}}:〈ウラル教は常暗彦の父ウラル彦の最初に開き給ひし教であり、バラモン教は常世国に於て、第二回目に開かれし教なれば〉</ref>だということである。→「[[#ウラル教とバラモン教の関係]]」参照
* バラモン教の紋章は三葉葵である。【用例】〈彼の提灯のしるしは三葉葵がついてゐる。擬ふ方もなきバラモン教の捕手に間違ひない〉<ref>{{rm|44|11|腰ぬけ}}</ref>、〈旗印を見れば、どれもこれも三葉葵の紋所を染めなし居りますれば、正しくバラモン教の軍隊かと存じます〉<ref>{{rm|53|20|背進}}</ref>
* バラモン教の紋章は三葉葵である。ただし[[ウラル教]]の紋章も三葉葵である。→詳細は「[[三葉葵]]」
** ただし[[ウラル教]]の紋章も三葉葵だと記されている。【用例】〈幾十旒とも知れぬ白旗に、三葉葵の紋を赤く染め抜いて(略)これぞアナン、ユーズの引率せるウラル教の宣伝使、信徒の一団が〉<ref>{{rm|30|18|日暮シの河}}</ref>
** 大国彦がウラル教を国是として常世の国を治めていた時代(第10巻)から三葉葵が使われている。【用例】〈常世の国の自在天 高く輝く城頭の 三ツ葉葵の紋所〉{{rm09|10|0003|総説歌}}、〈常世の城は雲表に 御空を摩して遠近の 樹の間を透しキラキラと 三葉葵の紋所〉<ref>{{rm|10|2|天地暗澹}}</ref>
** 三葉葵は徳川家の紋章として有名。{{wp|葵紋}}


== 主なエピソード ==
== 主なエピソード ==