「水茎の岡」の版間の差分

ページの作成:「'''水茎の岡'''(みずくきのおか)は、琵琶湖の南岸にある小高い山で、万葉集に歌われた故地である。出口王仁三郎大石凝真素美はこの山に登り、琵琶湖の水面に浮かぶ水茎文字を目撃した。「水茎の岡山」とも呼ばれ、地元では単に「岡山」と呼ばれている。古い文献では「水莖岡」と表記されている。 == 概要 == 出口王仁三郎は…」
 
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[[ファイル:長命寺山より湖南岡山を望む.jpg|thumb|長命寺山から水茎の岡を望む。峰が3つあるように見える。]]
[[ファイル:長命寺山より湖南岡山を望む.jpg|thumb|長命寺山から水茎の岡を望む。峰が3つあるように見える。]]
[[ファイル:水茎の岡周辺地図1941.jpg|thumb|昭和16年頃の地図。中央が水茎の岡]]
[[ファイル:水茎の岡周辺地図1941.jpg|thumb|昭和16年頃の地図。中央が水茎の岡]]
[[ファイル:水茎の岡周辺地図.jpg|thumb|現代の地図]]
[[ファイル:水茎の岡周辺地図.png|thumb|現代の地図]]


水茎の岡は、滋賀県近江八幡市牧町(戦前は蒲生郡岡山村大字牧)にある。標高188メートル。麓の標高は80メートル台なので比高は約100メートル。山容は、3つの峰があるように見える(写真参照)。王仁三郎がこの山のどの辺りに登ったのかは不明。西側の峰の山腹には南北朝時代に築造された山城「水茎岡山城」がある。
水茎の岡は、滋賀県近江八幡市牧町(戦前は蒲生郡岡山村大字牧)にある。標高188メートル。麓の標高は80メートル台なので比高は約100メートル。山容は、3つの峰があるように見える(写真参照)。王仁三郎がこの山のどの辺りに登ったのかは不明。西側の峰の山腹には南北朝時代に築造された山城「水茎岡山城」がある。