「大石凝真素美」の版間の差分

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== 王仁三郎との関わり ==
== 王仁三郎との関わり ==


[[王仁三郎]]が大石凝真素美と初めて会ったのは、明治31年(1898年)のことである<ref>『[[新月の光]]』0631「王仁と言霊学」には「大石凝先生に会ったのは明治三十五年」と記されている。しかしその後ろの方に「自伝自画には明治三十二年四月とあり」と注意書きがしてあり、初めて会った年は明瞭でない。</ref>。清水の長沢雄楯を訪ねた帰りに汽車の中で会った<ref name="kake0632">『新月の光』0632「大石凝先生との初対面」:「大石凝先生には長沢先生の家の帰り道、汽車の中で会ったので、王仁の事を話したら不思議な事だと言って一度来いと言われて、先生と信州の[[皆神山]]へ行ったのである」</ref>。何度か長沢を訪ねているが、何度目の時かは不明。その年の「秋」<ref>『[[敷島新報]]』第12号(大正4年6月15日):「吾人は神典古事記を真解せんとして水茎文字の研究に腐心すること十数年二十八歳の秋大石先生に伴はわれて天の真奈井の珍現象を実見せし」(『大石凝真素美全集 解説篇』p60に掲載)</ref>には大石凝に伴われて[[水茎の岡]]へ行き[[琵琶湖]]に浮かぶ水茎文字を実見している。
[[王仁三郎]]が大石凝真素美と初めて会ったのは、明治31年(1898年)のことである<ref>『[[新月の光]]』0631「王仁と言霊学」には「大石凝先生に会ったのは明治三十五年」と記されている。しかしその後ろの方に「自伝自画には明治三十二年四月とあり」と注意書きがしてあり、初めて会った年は明瞭でない。/「{{obc|Z9051|水茎文字の研究}}」には〈二十八歳の秋〉(秋は「とき」?「あき」?)と記されている。数え年28歳の年は明治31年になる。</ref>。清水の長沢雄楯を訪ねた帰りに汽車の中で会った<ref name="kake0632">『新月の光』0632「大石凝先生との初対面」:「大石凝先生には長沢先生の家の帰り道、汽車の中で会ったので、王仁の事を話したら不思議な事だと言って一度来いと言われて、先生と信州の[[皆神山]]へ行ったのである」</ref>。何度か長沢を訪ねているが、何度目の時かは不明。その年の「秋」<ref>『[[敷島新報]]』第12号(大正4年6月15日):「吾人は神典古事記を真解せんとして水茎文字の研究に腐心すること十数年二十八歳の秋大石先生に伴はわれて天の真奈井の珍現象を実見せし」(『大石凝真素美全集 解説篇』p60に掲載)</ref>には大石凝に伴われて[[水茎の岡]]へ行き[[琵琶湖]]に浮かぶ水茎文字を実見している。


また、時期は不明だが、大石凝と[[皆神山]]へ行っている<ref name="kake0632" />。
また、時期は不明だが、大石凝と[[皆神山]]へ行っている<ref name="kake0632" />。