「十ケ月暦」の版間の差分
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* 明治31年(1898年)にすでにこの十ケ月暦の大意を発表しておいた。 | * 明治31年(1898年)にすでにこの十ケ月暦の大意を発表しておいた。 | ||
* 国際連盟では三つの改暦案のうち第三案の十三ヶ月案が採用されるであろう。世界は一度はその暦法を使うことになるが、しかし長くは続かず、やがて、神示による自分の案(十ケ月暦)が採用されるはずである。 | * 国際連盟では三つの改暦案のうち第三案の十三ヶ月案が採用されるであろう。世界は一度はその暦法を使うことになるが、しかし長くは続かず、やがて、神示による自分の案(十ケ月暦)が採用されるはずである。 | ||
== 問題点 == | |||
十ケ月暦にはいくつか問題点がある。 | |||
十ケ月暦は恒久暦であり、グレゴリオ暦の4つの欠点が全て解決されている。しかし1年を10ヶ月にするため、四半期を計算するのに不便である。 | |||
立春を1月1日にするということは、立秋は6月1日となる。また、立夏は3月半ば(18日頃?)となり、立冬は8月半ば(18日頃?)となる。夏至は4月下旬(34日頃?)、冬至は9月下旬(34日頃?)となる。天保暦からグレゴリオ暦への改暦で起きた問題と同様、月と季節感が現在とは全く異ることになる。 | |||
== 反響 == | == 反響 == | ||