「岡田惟平」の版間の差分

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惟平の亡き後も王仁三郎はたびたび南陽寺を訪れて、師を偲んで「敬老尊師」と染筆した。この書は今も南陽寺に残されている。
惟平の亡き後も王仁三郎はたびたび南陽寺を訪れて、師を偲んで「敬老尊師」と染筆した。この書は今も南陽寺に残されている。


昭和8年(1934)12月3日、王仁三郎は南陽寺に惟平を顕彰する歌碑を建立。「二夜ともなき望月の影きよみ もりてふかさん軒のさむしろ」という惟平の和歌が刻まれた。しかしこの歌碑は2年後に起きた[[第二次大本事件]]で当局によって破壊されてしまい、そのあおりで惟平の遺品まで焼却されてしまった。
昭和8年(1934)12月3日、王仁三郎は南陽寺に惟平を顕彰する歌碑を建立。「'''二夜ともなき望月の影きよみ もりてふかさん軒のさむしろ'''」という惟平の和歌が刻まれた。しかしこの歌碑は2年後に起きた[[第二次大本事件]]で当局によって破壊されてしまい、そのあおりで惟平の遺品まで焼却されてしまった。


昭和40年(1965)12月3日、有志によってほぼ同じ歌碑が再建された。
昭和40年(1965)12月3日、有志によってほぼ同じ歌碑が再建された。