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辻天水

3 バイト追加, 2023年11月9日 (木) 00:59
略歴
* 昭和10年(1935年)、辻は大本の奉仕者として、神号を認めたり、辞令を浄書する仕事に従事していた。そこへ王仁三郎が立ち寄った。辻は宣伝使を拝命したいと申し出たが、王仁三郎に「それはあかん」「ここにおれ。お前には重要な使命がある」と言われた。数日後、再び王仁三郎が辻の仕事場やって来た。辻は紙に「大本皇大神」と神号を書くところを、どうしたわけか「大」と「本」の字間を大きく離して書いてしまった。すると王仁三郎は筆をとり、「大」と「本」の間に「日」の字を書き入れ「大日本皇大神」とした。王仁三郎は辻にその書をやると言い「いずれ大事な時に使うことになる」「一厘の仕組をあんたにやってもらう」「わしが捕まったら神業の続きをする者がおらん。そやからわしの代わりに裏の神業をやってくれ」と辻に言った。<ref>豊国「龍宮神示と天言鏡」pp.41-42</ref>
* 第二次大本事件以降もしばらくは亀岡を離れず、学校の教員をしながら大本の動向を見守っていた。
* 辻は[[霊界物語]][[第13巻]]の信天翁(→「[[変性女子は偽者]]」)の「美濃か尾張の国の中」という箇所が、辻の実家がある伊勢のことだと気づいた<ref>王仁三郎が第13巻の信天翁を校正したのは昭和10年3月であるが、公刊されたのは戦後であるため、この時点ではまだ辻は「なぞと慢神してござる」云々と校正されたことを知らなかったと思われる。</ref>。また辻が大本に奉納した地所を王仁三郎が辻に返して「重要なお地場になる」と言っていたことや、日出麿が実家に来訪した時「大事なとこや」と感嘆していたこと、それに王仁三郎・日出麿が言っていた「カンノシ・シンノウジ(神皇子)」とは大本神諭が言う、八王をおさめる一つの王のことだと考え。また、辻が大本に奉納した地所を王仁三郎が辻に返して「重要なお地場になる」と言っていたことや、日出麿が実家に来訪した時「大事なとこや」と感嘆していたこと、それに王仁三郎・日出麿が言っていた「カンノシ・シンノウジ(神皇子)」とは大本神諭が言う、八王をおさめる一つの王のことだと考え<ref>友清歓真の著書『霊学筌蹄』の中に「此の蒼生を統べ始めて神の本道に復帰せしめむが為め、又神は渾球《こんきゅう》の表に神皇子にも次ぐべき八の王を造らる、王等おのおの其の主宰するところを色別す」とあり、これは大本神諭の「八王も王が世界にあれば、この世に口舌が絶えんから、一つの王でおさめる経綸《しぐみ》がいたしてあるぞよ」という神示に対応する。その一つの王が「カンノシ」であり「シンノウジ」であると辻は考えた。豊国「龍宮神示と天言鏡」pp.47-48</ref>、自分の使命の重大性を認識し、[[裏神業]]の道に踏み込んで行った。
* 辻は故郷の菰野に引き籠もり「[[北伊勢神業]]」に没頭した。具体的には、[[審神者]]として「[[竜宮神示]]」「[[天言鏡]]《てんげんきょう》」「[[神言書]]《しんげんしょ》」などの神示を取り次いだりする神業であった。不明な点があると大阪の刑務所に収監されている王仁三郎に面会を求め、指示を仰いだ。<ref>豊国「龍宮神示と天言鏡」p.43</ref> <ref>中矢『大本裏神業の真相』p.202</ref>
* 昭和17年(1942年)、辻は保釈出所した王仁三郎と亀岡で面会した。王仁三郎は「この短冊があるところが神業の中心地である」と言って御神体となる短冊を辻に授けた。それは王仁三郎が自ら認めたもので、「大国常立大神」の御神号の下に「金山彦神」「金山姫神」という御神号が書かれていた。王仁三郎はこの御神体を辻に授ける際に「近江で祀り、淡路に渡り、後は伊勢(北伊勢)に入ることになる」と告げたという。辻が近江で御神体を祀った後、再び王仁三郎に指示を仰ぎに行くと「次は淡路島で元井戸を掘るんや」と指示した。この元井戸はすでに[[白山義高]]が掘り進めていたが、何も出て来なかった。王仁三郎はこの元井戸が「大国常立大神」が出現する穴だと教えた。 →「[[淡路島神業]]」

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