「予言」の版間の差分
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{{inyou|原首相遭難の当日私は六人ばかりの人々と共に、[[祥雲閣]]において種々御用を承りておりましたが、やがて聖師様は入浴され浴槽においてそれを霊視されたのであります。そのため私どもは、名前は判らないが中岡艮一の人相、服装、遭難の状況を仔細に聴き取ったのであります。このときはちょうど当日の午後三時でありまして、遭難時より四時間以上も前でありました。ご承知の通り現界における出来事は、必ず先ず霊界で行わるるもので霊界でいったん暗殺された以上は、現界でいかに警戒を厳密にしてもとうてい免るることは出来ないのであります。これに反して霊界でその難を免れておれば、現界ではドウしても避くることの出来ぬハメに陥りておりても不思議に助かるものでありまして、ココが神様に縋りておるものと然らざるものとの差異点であります。聖師様も「事あまりに案外であり、急激であったから、自分も如何とも致し方がなかった、誠に気の毒である」と嘆息されたのであります。|[[井上留五郎]]著『[[暁の烏]]』「{{obc|B116500c081|(一)霊眼(以前と現時との比較)}}」}} | {{inyou|原首相遭難の当日私は六人ばかりの人々と共に、[[祥雲閣]]において種々御用を承りておりましたが、やがて聖師様は入浴され浴槽においてそれを霊視されたのであります。そのため私どもは、名前は判らないが中岡艮一の人相、服装、遭難の状況を仔細に聴き取ったのであります。このときはちょうど当日の午後三時でありまして、遭難時より四時間以上も前でありました。ご承知の通り現界における出来事は、必ず先ず霊界で行わるるもので霊界でいったん暗殺された以上は、現界でいかに警戒を厳密にしてもとうてい免るることは出来ないのであります。これに反して霊界でその難を免れておれば、現界ではドウしても避くることの出来ぬハメに陥りておりても不思議に助かるものでありまして、ココが神様に縋りておるものと然らざるものとの差異点であります。聖師様も「事あまりに案外であり、急激であったから、自分も如何とも致し方がなかった、誠に気の毒である」と嘆息されたのであります。|[[井上留五郎]]著『[[暁の烏]]』「{{obc|B116500c081|(一)霊眼(以前と現時との比較)}}」}} | ||
=== 八月十五日 === | |||
[[ファイル:八月十五日の軸.jpg|thumb|八月十五日]] | |||
王仁三郎は大正末期に「八月十五日」という書を揮毫した。これは昭和20年(1945年)8月15日の終戦を予言したものだと言われている。 | |||
== 昭和 == | == 昭和 == |