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* 明治9年(1876年)に、坪内村と新宮村が合併して本宮村が誕生した。<ref>『綾部市史 下巻』p26</ref>
* 明治9年(1876年)に、坪内村と新宮村が合併して本宮村が誕生した。<ref>『綾部市史 下巻』p26</ref>
** 本宮と呼ばれる集落が誕生したのは、おそらくこれが最初である。語源は本宮山だが、その山がいつから本宮山と呼ばれるようになったのかは不明。江戸時代の文献にはすでに本宮山の名が見える。
** 本宮と呼ばれる集落が誕生したのは、おそらくこれが最初である。語源は本宮山だが、その山がいつから本宮山と呼ばれるようになったのかは不明。江戸時代の文献にはすでに本宮山の名が見える。
** 治承年間(1177-1179年)に平重盛<ref>平重盛(たいらの しげもり、1138-1179年)は平安末期の武将。平清盛の長男。安元3年(1177年)3月に内大臣・左近衛大将となる。{{kbwp|平重盛</kbwp></ref>が所領のある綾部に訪れ、並松の景色が熊野によく似ているということで熊野権現を勧請したという伝承がある。「本宮」や「新宮」の地名はそれに由来すると考えられている。本宮山の南麓には[[那智山正暦寺]]が、北麓には[[熊野新宮神社]]がある。<ref>『綾部市史 上巻』p125、『綾部町史』p17</ref> <ref>熊野新宮神社はもともとは本宮山の東麓にあったが、綾部初代藩主の[[九鬼隆季]](1608-1678年)が現在地に遷したと伝えられている。</ref>
** 治承年間(1177-1179年)に平重盛<ref>平重盛(たいらの しげもり、1138-1179年)は平安末期の武将。平清盛の長男。安元3年(1177年)3月に内大臣・左近衛大将となる。{{kbwp|平重盛}}</ref>が所領のある綾部に訪れ、並松の景色が熊野によく似ているということで熊野権現を勧請したという伝承がある。「本宮」や「新宮」の地名はそれに由来すると考えられている。本宮山の南麓には[[那智山正暦寺]]が、北麓には[[熊野新宮神社]]がある。<ref>『綾部市史 上巻』p125、『綾部町史』p17</ref> <ref>熊野新宮神社はもともとは本宮山の東麓にあったが、綾部初代藩主の[[九鬼隆季]](1608-1678年)が現在地に遷したと伝えられている。</ref>
** 天保11年(1840年)に農政学者・佐藤信淵(さとう のぶひろ)が著した「巡察記」によると、綾部組(綾部郷)には次の12の村があり、そこに坪内村と新宮村も含まれている。<ref>『綾部市史 史料編』p603</ref>
** 天保11年(1840年)に農政学者・佐藤信淵(さとう のぶひろ)が著した「巡察記」によると、綾部組(綾部郷)には次の12の村があり、そこに坪内村と新宮村も含まれている。<ref>『綾部市史 史料編』p603</ref>
*** 綾部村、坪内村、田野村、寺村、野田村、新宮村、神宮寺村、井倉村、井倉新町、青野村、中村、味方村。
*** 綾部村、坪内村、田野村、寺村、野田村、新宮村、神宮寺村、井倉村、井倉新町、青野村、中村、味方村。