「顕国の御玉」の版間の差分
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『一、鳥取県気高郡海徳村大字徳尾、森岡直衛、宮東、菜種田に於て種苅中鎌に当り拾得す。明治廿三年四月二十四日朝 | 『一、鳥取県気高郡海徳村大字徳尾、森岡直衛、宮東、菜種田に於て種苅中鎌に当り拾得す。明治廿三年四月二十四日朝 | ||
一、鳥取警察に届出す、警察より県庁に出す。其後中学校等にて験せ共無名石にて帰来せり。 | |||
一、此玉拾得前弐拾壱日より弐拾参日迄参日間鶏夜叫せり。家内の者近所の人心配なし判定者に問ふ。判定者の言に依れば善事の知らせなりと云ふ。其翌日この玉を拾得せり』 | |||
右は原文の儘也 以上 | 右は原文の儘也 以上 | ||