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* [[藤原勇造]](霊界物語の筆録者の一人)/明治12年(1879年)生/昭和59年(1984年)6月30日帰幽(105歳)<ref>『[[綾の機]]』昭和59年(1984年)7月号p32</ref>〕 | * [[藤原勇造]](霊界物語の筆録者の一人)/明治12年(1879年)生/昭和59年(1984年)6月30日帰幽(105歳)<ref>『[[綾の機]]』昭和59年(1984年)7月号p32</ref>〕 | ||
* [[外山豊二]]/大正14年(1925年)4月2日帰幽<ref>『大本年表』p94</ref> | * [[外山豊二]]/大正14年(1925年)4月2日帰幽<ref>『大本年表』p94</ref> | ||
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* [[加藤明子]]/昭和9年(1934年)7月8日帰幽(59歳)<ref>『大本年表』p107</ref> <ref>『[[真如の光]]』昭和9年(1934年)7月25日号p20「東都の光」7月8日の項「今春来関東別院にて療養中の加藤明子氏帰幽す」</ref> | * [[加藤明子]]/昭和9年(1934年)7月8日帰幽(59歳)<ref>『大本年表』p107</ref> <ref>『[[真如の光]]』昭和9年(1934年)7月25日号p20「東都の光」7月8日の項「今春来関東別院にて療養中の加藤明子氏帰幽す」</ref> | ||
* [[松村真澄]]/昭和3年(1928年)3月3日 綾部で帰幽(49歳)<ref>『真如の光』3月15日号p40、『大本年表』p115</ref> 大正15年(1926年)5月9日、大本の役員一切を退き社会事業に携わる<ref>『大本年表』p103</ref> | * [[松村真澄]]/昭和3年(1928年)3月3日 綾部で帰幽(49歳)<ref>『真如の光』3月15日号p40、『大本年表』p115</ref> 大正15年(1926年)5月9日、大本の役員一切を退き社会事業に携わる<ref>『大本年表』p103</ref> |
2020年12月8日 (火) 23:03時点における版
人物の生没年の一覧。編集者用メモ。
注:明治5年(1872年)12月2日までは旧暦表記。[1]
- 出口直/天保7年12月16日(新1837年1月22日)生/大正7年(1918年)11月6日(旧10月3日)没/満81歳、数え83歳
- 出口王仁三郎/明治4年(1871年)7月12日(新8月27日)生/昭和23年(1948年)1月19日(旧12月9日)/満76歳、数え77歳
- 上田宇能/文化12年2月11日(新1815年3月21日)生[2]/明治34年(1901年)1月7日(旧11月17日)没/満85歳
- 上田世祢/昭和8年(1933年)6月20日没[3]
- 鶴殿親子/慶応2年(1866年)2月生[4]
- 仁科秀野(出口日出麿の生母)/明治9年(1876年)2月9日、倉敷生まれ/昭和38年(1963年)5月6日、倉敷にて没
- 藤原勇造(霊界物語の筆録者の一人)/明治12年(1879年)生/昭和59年(1984年)6月30日帰幽(105歳)[5]〕
- 外山豊二/大正14年(1925年)4月2日帰幽[6]
- 四方平蔵/昭和9年(1934年)7月6日帰幽[7]
- 加藤明子/昭和9年(1934年)7月8日帰幽(59歳)[8] [9]
- 松村真澄/昭和3年(1928年)3月3日 綾部で帰幽(49歳)[10] 大正15年(1926年)5月9日、大本の役員一切を退き社会事業に携わる[11]
- 桜井重雄(桜井八洲雄)/昭和44年(1969年)没 [12]
- 杭迫軍二/昭和63年(1988年)4月16日帰幽(87歳)[13]
- 岡本三典/平成21年(2009年)6月23日帰幽
- 辻恵子/平成20年(2008年)7月2日帰幽
脚注
- ↑ 改暦により旧暦の明治5年12月3日は新暦の明治6年1月1日となる。
- ↑ 『神の国』平成15年(2003年)1月号、出口和明(出口禮子)「落胤問題を実証する(二十)」p24
- ↑ 『大本年表』
- ↑ 『大地の母 第11巻』「山吹の花」
- ↑ 『綾の機』昭和59年(1984年)7月号p32
- ↑ 『大本年表』p94
- ↑ 『真如の光』昭和9年(1934年)7月25日号p20「東都の光」7月6日の項「四方平蔵氏帰幽の報あり」
- ↑ 『大本年表』p107
- ↑ 『真如の光』昭和9年(1934年)7月25日号p20「東都の光」7月8日の項「今春来関東別院にて療養中の加藤明子氏帰幽す」
- ↑ 『真如の光』3月15日号p40、『大本年表』p115
- ↑ 『大本年表』p103
- ↑ http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00266913
- ↑ 『大本襲撃』P301