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'''9月9日'''は、[[出口直]]開祖が[[見真実]](顕真実)に入った日。大正5年(1916年)10月5日('''旧9月9日''')に出た筆先により[[出口直]]は[[王仁三郎]]が「五六七神の御霊」だと知った。 | '''9月9日'''は、[[出口直]]開祖が[[見真実]](顕真実)に入った日。大正5年(1916年)10月5日('''旧9月9日''')に出た筆先により[[出口直]]は[[王仁三郎]]が「五六七神の御霊」だと知った。 | ||
== 出来事 == | |||
大正5年(1916年)10月4日(旧9月8日)出口直・王仁三郎ら一行は綾部を出発。翌10月5日('''旧9月9日''')午前2時、高砂港から船に乗り、4時に[[神島]]に到着。上陸して[[坤の金神]]の鎮座祭を行った。王仁三郎の四女・[[一二三]](4歳)と五女・[[尚江]](1歳)が松の枝でその辺りを掃き出し、自ずから尉と姥の型をさせられた。その夜、一行は大阪・松島の谷前貞義方に宿泊<ref>『[[大地の母]] 第11巻』「神島開き」p111:「その夜、出口家一統は、大阪松島の谷前貞義方に宿泊した」</ref>した。出口直は筆先で「五六七神(みろく)様の霊は皆上島へ落ちて居られて、未申の金神どの、素盞嗚尊と小松林の霊が、五六七神(みろくのかみ)の御霊(おんれい)で、結構な御用がさして在りたぞよ。ミロク様が根本の天の御先祖様であるぞよ。国常立尊は地の先祖であるぞよ」〔{{os|250|大正五年旧九月九日}}〕と出たので、王仁三郎の神格が五六七の大神だということを認識した。これ以前の境遇を「未見真実(未顕真実)」、以降の境遇を「見真実(顕真実)」と呼ぶ。<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2133|神島開き}}」</ref> →「[[見真実]]」 | 大正5年(1916年)10月4日(旧9月8日)出口直・王仁三郎ら一行は綾部を出発。翌10月5日('''旧9月9日''')午前2時、高砂港から船に乗り、4時に[[神島]]に到着。上陸して[[坤の金神]]の鎮座祭を行った。王仁三郎の四女・[[一二三]](4歳)と五女・[[尚江]](1歳)が松の枝でその辺りを掃き出し、自ずから尉と姥の型をさせられた。その夜、一行は大阪・松島の谷前貞義方に宿泊<ref>『[[大地の母]] 第11巻』「神島開き」p111:「その夜、出口家一統は、大阪松島の谷前貞義方に宿泊した」</ref>した。出口直は筆先で「五六七神(みろく)様の霊は皆上島へ落ちて居られて、未申の金神どの、素盞嗚尊と小松林の霊が、五六七神(みろくのかみ)の御霊(おんれい)で、結構な御用がさして在りたぞよ。ミロク様が根本の天の御先祖様であるぞよ。国常立尊は地の先祖であるぞよ」〔{{os|250|大正五年旧九月九日}}〕と出たので、王仁三郎の神格が五六七の大神だということを認識した。これ以前の境遇を「未見真実(未顕真実)」、以降の境遇を「見真実(顕真実)」と呼ぶ。<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2133|神島開き}}」</ref> →「[[見真実]]」 | ||