「比沼麻奈為神社」の版間の差分

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[[ファイル:比沼麻奈為神社1.jpg|thumb|比沼麻奈為神社の鳥居。平成20年(2008年)9月撮影。]]
[[ファイル:比沼麻奈為神社1.jpg|thumb|比沼麻奈為神社の鳥居。2008年9月撮影。]]
[[ファイル:比沼麻奈為神社2.jpg|thumb|比沼麻奈為神社の社殿。平成20年(2008年)9月撮影。]]
[[ファイル:近畿マップ1.jpg|thumb|比沼麻奈為神社の位置]]
[[ファイル:比沼麻奈為神社2.jpg|thumb|比沼麻奈為神社の社殿。2008年9月撮影。]]


'''比沼麻奈為神社'''(ひぬまないじんじゃ)は、京都府京丹後市峰山町久次に鎮座する神社。主祭神・[[豊受大神]]。通称「元外宮」。
'''比沼麻奈為神社'''(ひぬまないじんじゃ)は、京都府京丹後市峰山町久次に鎮座する神社。主祭神・[[豊受大神]]。通称「[[元外宮]]」。




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== 久次岳と磐座 ==
== 久次岳と磐座 ==
[[ファイル:比沼麻奈為神社3磐座.jpg|thumb|比沼麻奈為神社の社叢にある磐座。平成20年(2008年)9月撮影。]]
[[ファイル:比沼麻奈為神社3磐座.jpg|thumb|比沼麻奈為神社の社叢にある磐座。2008年9月撮影。]]


比沼麻奈為神社は[[久次岳]](ひさつぎだけ、標高541m)の東麓に鎮座している(麓の標高は50m前後)。
比沼麻奈為神社は[[久次岳]](ひさつぎだけ、標高541m)の東麓に鎮座している(麓の標高は50m前後)。
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}}
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『[[大本教開祖御伝記]]』には──出口家の遠祖は丹波道主命([[開化天皇]]の孫)であり、四道将軍の一人として丹波に派遣され、何鹿に住み着いた。その子孫の綾津彦命が綾部に住み、豊受大神を祭った。それが後に久次に遷って比沼麻奈為神社となり、さらに伊勢に遷った。綾部の出口家が本家で、伊勢外宮の社家の出口家(渡会家)は分家である──と記されている。
『[[大本教開祖御伝記]]』には──出口家の遠祖は丹波道主命([[開化天皇]]の孫)であり、四道将軍の一人として丹波に派遣され、何鹿に住み着いた。その子孫の綾津彦命が綾部に住み、豊受大神を祭った。それが後に久次に遷って比沼麻奈為神社となり、さらに伊勢に遷った。綾部の出口家が本家で、伊勢外宮の社家の出口家(渡会家)は分家である──と記されている。<ref>『[[聖師伝]]』でも、本宮山→久次(比沼)→伊勢の順で遷ったと解釈している。〈むかし、豊受大神様は現在大本の神苑になっている綾部の本宮山に奉斎されてあったのでありますが、その後、丹波国丹波郡丹波村比沼の真奈井ヶ岳の麓、今の中郡五箇村字久次の御神境に遷座されました。そして雄略天皇の二十三年伊勢へ御遷宮になります時、上田家の邸内が御旅所になりましたので、上田家の一族はよろこび勇んで鄭重に齋かれました〉〔{{obc|B100800c02|穴太の里}}〕。</ref>


{{inyou| 出口家の遠祖は丹波道主命《たんばみちぬしのみこと》に出づ。命は開化天皇の妃 田庭竹野姫《たにはたけのひめ》の子 彦由牟須美命《ひこゆむすみのみこと》の裔なり。道主命は崇神天皇の十年癸巳《きし》教化の将軍を四道に派遣して四民を教化せしめんと即ち命が祖先の出産地たる縁故を以て、天皇の特旨に依り丹波に派遣されたるが、命の教化の力能く功を奏し、終に丹波の何鹿の里に居を構へ威望四隣を圧したりしが、命の後裔なる綾津彦命《あやつひこのみこと》は綾部の郷 神戸《かんべ》の地を卜して永住し、豊受大神を奉祀し居たりしに後《のち》神勅に依りて丹波郡丹波村比沼真奈井が岳の麓なる現今中郡五箇村字久次の神境に移し祭り子孫相継ぎ奉仕せしが、雄略天皇の二十二年戊午《ぼご》天照大御神、天皇の御夢に現はれ給ひて、豊受大神を神が兄《せ》の伊勢の国山田が原に遷し祀るべく詔らせ給ひしより、天皇は神勅を奉じ、直ちに豊受大神を山田原に迎へ玉ひしが、其時神霊に奉侍して移り住みしは出口家の分家なり。今に山田に出口家の子孫現存す。又本家たりし出口氏は現今綾部の地に子孫繁栄して、同姓を名告る者殊に多し。斯る深き神縁によりて神道界の英傑開祖直霊女史の現出せしも亦不思議と謂ふベし。只惜むらくは中世祝融子の見舞ふ処となり、詳細なる記録系図等の煙滅せし事なり。|[[百済博士]](出口王仁三郎)著『[[大本教開祖御伝記]]』16頁}}
{{inyou| 出口家の遠祖は丹波道主命《たんばみちぬしのみこと》に出づ。命は開化天皇の妃 田庭竹野姫《たにはたけのひめ》の子 彦由牟須美命《ひこゆむすみのみこと》の裔なり。道主命は崇神天皇の十年癸巳《きし》教化の将軍を四道に派遣して四民を教化せしめんと即ち命が祖先の出産地たる縁故を以て、天皇の特旨に依り丹波に派遣されたるが、命の教化の力能く功を奏し、終に丹波の何鹿の里に居を構へ威望四隣を圧したりしが、命の後裔なる綾津彦命《あやつひこのみこと》は綾部の郷 神戸《かんべ》の地を卜して永住し、豊受大神を奉祀し居たりしに後《のち》神勅に依りて丹波郡丹波村比沼真奈井が岳の麓なる現今中郡五箇村字久次の神境に移し祭り子孫相継ぎ奉仕せしが、雄略天皇の二十二年戊午《ぼご》天照大御神、天皇の御夢に現はれ給ひて、豊受大神を神が兄《せ》の伊勢の国山田が原に遷し祀るべく詔らせ給ひしより、天皇は神勅を奉じ、直ちに豊受大神を山田原に迎へ玉ひしが、其時神霊に奉侍して移り住みしは出口家の分家なり。今に山田に出口家の子孫現存す。又本家たりし出口氏は現今綾部の地に子孫繁栄して、同姓を名告る者殊に多し。斯る深き神縁によりて神道界の英傑開祖直霊女史の現出せしも亦不思議と謂ふベし。只惜むらくは中世祝融子の見舞ふ処となり、詳細なる記録系図等の煙滅せし事なり。|[[百済博士]](出口王仁三郎)著『[[大本教開祖御伝記]]』16頁}}
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霊界物語には比沼麻奈為神社そのものは登場しないが、神の降臨地である久次岳とその周辺の原野が「真名井山」「真名井ケ原」と呼ばれ、またそれら聖域の総称として「比沼真名井」と呼ばれている。→詳細は「[[比沼の真名井]]」を見よ
霊界物語には比沼麻奈為神社そのものは登場しないが、神の降臨地である久次岳とその周辺の原野が「真名井山」「真名井ケ原」と呼ばれ、またそれら聖域の総称として「比沼真名井」と呼ばれている。→詳細は「[[比沼の真名井]]」を見よ
== 脚注 ==
<references/>


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[比沼の真名井]]
* [[比沼の真名井]]
* [[元伊勢皇大神社]]:霊界物語で伊勢神宮内宮(天照大神)の最初の鎮座地とされる。
* [[元伊勢皇大神社]]:霊界物語で伊勢神宮内宮(天照大神)の最初の鎮座地とされる。
* [[元外宮]]:伝承地は複数ある。
* [[比治山]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* <wp>比沼麻奈為神社</wp>
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* <wp>雄略天皇</wp>
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* <wp>豊受大神宮</wp> - 伊勢神宮の外宮
* {{wp|豊受大神宮}} - 伊勢神宮の外宮
 
== 脚注 ==
<references/>


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[[Category:比沼麻奈為神社|*]]
[[Category:神社]]
[[Category:神社]]
[[Category:秀逸な記事]]
[[Category:秀逸な記事]]