出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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2025年4月6日 (日) 15:35時点における最新版
大祥殿
大祥殿(右)、みろく塔(左)、月の輪台(手前)。大正15年(1926年)2月撮影。
大祥殿(たいしょうでん、だいしょうでん[1])は、亀岡の天恩郷にあった神殿。天恩郷の西北の隅、現在、花明山窯や葉がくれ居などがある辺りにあった。大正15年(1926年)2月完成。
概要
- 大祥殿は天恩郷における一般の礼拝場とされた。また大道場としても使われた。[2]
- 建坪104坪の大広間からなる。[2]
- 当初は大道場として建設された。[3]
略年表
脚注
- ↑ たいていは「たいしやうでん」だが、「だいしやうでん」とルビが振られている場合もある。
- ↑ 以下の位置に戻る: 2.0 2.1 2.2 『大本七十年史 上巻』「国内宣教と造営#」
- ↑ 『真如の光』大正15年(1926年)2月15日号p25「本日聖師様より大道場に大祥殿と御命名があつた」