「皆神山」の版間の差分

 
(同じ利用者による、間の7版が非表示)
18行目: 18行目:
* [http://www.minakami-jinja.jp/about.html 由緒] - 皆神神社公式サイト
* [http://www.minakami-jinja.jp/about.html 由緒] - 皆神神社公式サイト
* [http://www.minakami-jinja.jp/facilities.html 境内図] - 皆神神社公式サイト
* [http://www.minakami-jinja.jp/facilities.html 境内図] - 皆神神社公式サイト
* <wp>出早雄命</wp>
* {{wp|出早雄命}}


== 王仁三郎との関わり ==
== 王仁三郎との関わり ==
33行目: 33行目:
* 昭和31年(1956年)9月、皆神神社境内に大本関係者によって木花咲耶姫神社(富士浅間神社)が建立された。<ref name="B195402c8142">『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c8142|巡教}}」内「信州巡教と皆神山登山」:「一九五四(昭和二九)年九月、教主による皆神山登山があり(略)'''一九五六(昭和三一)年九月には長野主会と信越の宣信徒が協力して、皆神山に木花咲耶姫神社社殿が新築'''されたので、ふたたび教主の登山があった。一五日に亀岡をたって長野市に一泊し、一六日の完成祭に臨席した。地元松代町では商工会・氏子総代・松代大本会など全町をあげて協力し、祭典には八田町長・小林町会議長・町民・信徒等八〇〇余人が参拝、春原宮司が'''教主染筆の神体を、旧社殿の木花咲耶姫の木像とともに鎮祭'''した。祭典後、教主は松代町への社殿引渡し式をすまして、上田市へたちより、一九日に帰亀をみた。」</ref>
* 昭和31年(1956年)9月、皆神神社境内に大本関係者によって木花咲耶姫神社(富士浅間神社)が建立された。<ref name="B195402c8142">『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c8142|巡教}}」内「信州巡教と皆神山登山」:「一九五四(昭和二九)年九月、教主による皆神山登山があり(略)'''一九五六(昭和三一)年九月には長野主会と信越の宣信徒が協力して、皆神山に木花咲耶姫神社社殿が新築'''されたので、ふたたび教主の登山があった。一五日に亀岡をたって長野市に一泊し、一六日の完成祭に臨席した。地元松代町では商工会・氏子総代・松代大本会など全町をあげて協力し、祭典には八田町長・小林町会議長・町民・信徒等八〇〇余人が参拝、春原宮司が'''教主染筆の神体を、旧社殿の木花咲耶姫の木像とともに鎮祭'''した。祭典後、教主は松代町への社殿引渡し式をすまして、上田市へたちより、一九日に帰亀をみた。」</ref>
* 昭和46年(1971年)春、皆神神社境内に王仁三郎の歌碑が建立された。「地質学上世界の中心山脈の十字形せる珍の神山」「天霊の聖地に些しも違はざる尊き神山皆神の山」の二首が刻まれている。
* 昭和46年(1971年)春、皆神神社境内に王仁三郎の歌碑が建立された。「地質学上世界の中心山脈の十字形せる珍の神山」「天霊の聖地に些しも違はざる尊き神山皆神の山」の二首が刻まれている。
* 昭和47年(1972年)皆神神社境内に大本によって石の宮(富士浅間神社)が造営された。同年12月3日に遷座祭<ref>『[[愛善苑 (機関誌)]]』昭和48年(1973年)1月号、13頁</ref>。翌48年4月29日に完成奉告祭が執行され、皆神神社へ石の宮と鳥居が献納された<ref>『[[愛善苑 (機関誌)]]』昭和48年(1973年)6月号、10頁</ref>。 →「[[#富士浅間神社]]」
* 平成16年(2004年)9月26日、皆神神社境内に三代教主・[[出口直日]]の歌碑が建立された。「みすゝかるしなのゝくにの神山にともらつとひて世をいのらなむ」この歌は昭和29年(1954年)9月26日に皆神山山頂で執行された平和祈願祭に際して詠んだ歌である。
* 平成16年(2004年)9月26日、皆神神社境内に三代教主・[[出口直日]]の歌碑が建立された。「みすゝかるしなのゝくにの神山にともらつとひて世をいのらなむ」この歌は昭和29年(1954年)9月26日に皆神山山頂で執行された平和祈願祭に際して詠んだ歌である。


42行目: 43行目:
{{inyou|
{{inyou|
 完成した石の宮は、旧社殿跡二間四方に高さ三尺の石垣を積みあげ、その上に五尺四寸におよぶ総石造りのお宮があり玉垣がめぐらされている。使用された石材は国内三大産地の雄たる愛知県岡崎から二度も採掘厳選してきざまれただけに、山頂の神域にふさわしく、その麗姿はひときは四辺を圧して清く美しい。
 完成した石の宮は、旧社殿跡二間四方に高さ三尺の石垣を積みあげ、その上に五尺四寸におよぶ総石造りのお宮があり玉垣がめぐらされている。使用された石材は国内三大産地の雄たる愛知県岡崎から二度も採掘厳選してきざまれただけに、山頂の神域にふさわしく、その麗姿はひときは四辺を圧して清く美しい。
 前夜、この清宮を祓い清めて地元の氏子総代や本部の木庭教学委員ら立合いのもとに、皆神山社家武藤神官ならびに工藤大本長野分苑長と小山四郎氏が奉仕して、大本皇大御神のご神体と木花咲耶姫命のご神像(高さ38センチ・巾20センチ・厚さ10センチ)を新宮に鎮祭した。(略)
 前夜、この清宮を祓い清めて地元の氏子総代や本部の木庭教学委員ら立合いのもとに、皆神山社家武藤神官ならびに工藤大本長野分苑長と小山四郎氏が奉仕して、大本皇大御神のご神体と木花咲耶姫命のご神像(高さ38センチ・巾20センチ・厚さ10センチ)を新宮に鎮祭した。
 
(略)武藤皆神山神官は、出口聖地以来の大本との由縁を語り「この皆神山奥社は大本さんによって三度も再建していただいたわけだが、この度は、三度目の正直といおうか、石造りの末代のお宮を完成していただき心から感謝する」と挨拶。(略)
 
 皆神山は地教山の雛型として大本神業上有名だが、全国唯一の教主さまの歌碑もここにある。この度再建された石宮は、かつて穴太瑞泉苑の神域に建てられていた〝神聖神社〟のうつしであり、昭和三十一年の神殿再建時に教主さまが確められた木花咲耶姫命の神像(奥社伝来の木像)を祀る宮士浅間神社である。| }}
 皆神山は地教山の雛型として大本神業上有名だが、全国唯一の教主さまの歌碑もここにある。この度再建された石宮は、かつて穴太瑞泉苑の神域に建てられていた〝神聖神社〟のうつしであり、昭和三十一年の神殿再建時に教主さまが確められた木花咲耶姫命の神像(奥社伝来の木像)を祀る宮士浅間神社である。| }}


73行目: 77行目:
* [[水上山]] …紫微天界にある山
* [[水上山]] …紫微天界にある山
* 皆神神社 → 本項に転送
* 皆神神社 → 本項に転送
* [[出口王仁三郎の歌碑]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* <wp>皆神山</wp>
* {{wp|皆神山}}
* [http://www.minakami-jinja.jp/ 皆神神社(公式サイト)]
* [http://www.minakami-jinja.jp/ 皆神神社(公式サイト)]


83行目: 88行目:
{{デフォルトソート:みなかみやま}}
{{デフォルトソート:みなかみやま}}
[[Category:山]]
[[Category:山]]
[[Category:皆神山|*]]
[[Category:秀逸な記事]]
[[Category:秀逸な記事]]