「霊界物語の輯巻篇章」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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'''霊界物語の輯巻篇章'''(れいかいものがたりの しゅう かん へん しょう)では、[[霊界物語]]の文章構造である輯、巻、篇、章について解説する。
'''霊界物語の輯巻篇章'''(れいかいものがたりの しゅう かん へん しょう)では、[[霊界物語]]の文章の階層構造である輯、巻、篇、章について解説する。


霊界物語は12巻を一組として「輯」と呼ぶ<ref>12巻ごとを「輯」と呼ぶことは霊界物語中の数ヶ所に記されている。【例】{{rm09|50|0001|序文}}:霊界物語第一巻より第十二巻までを第一'''輯'''とし改めて「霊主体従」と題し、第十三巻より第廿四巻迄を「如意宝珠」と題し、第廿五巻より第卅六巻までを第三'''輯'''とし「海洋万里」と題し、第卅七巻より第四十八巻迄を第四'''輯'''とし「舎身活躍」と題し、第五'''輯'''に当る「真善美愛」と題せる物語を」、{{rm|48|9|罪人橋}}:「此語字については霊界物語第二'''輯'''第三巻(第十五巻)第一天国と云ふ所に」</ref>。各巻は数個の「篇」に分かれ、その篇はさらに数個の「章」に分かれている。
霊界物語は12巻を一組として「輯」と呼ぶ<ref>12巻ごとを「輯」と呼ぶことは霊界物語中の数ヶ所に記されている。【例】{{rm09|50|0001|序文}}:霊界物語第一巻より第十二巻までを第一'''輯'''とし改めて「霊主体従」と題し、第十三巻より第廿四巻迄を「如意宝珠」と題し、第廿五巻より第卅六巻までを第三'''輯'''とし「海洋万里」と題し、第卅七巻より第四十八巻迄を第四'''輯'''とし「舎身活躍」と題し、第五'''輯'''に当る「真善美愛」と題せる物語を」、{{rm|48|9|罪人橋}}:「此語字については霊界物語第二'''輯'''第三巻(第十五巻)第一天国と云ふ所に」</ref>。各巻は数個の「篇」に分かれ、その篇はさらに数個の「章」に分かれている。
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== 輯 ==
== 輯 ==
それぞれ輯には題名が付けられており、1巻ごとに十二支の名前が与えられている。たとえば第1巻は「霊主体従 子の巻」と呼ばれる。次のように計7輯から成る。
輯にはそれぞれ題名が付けられており、1巻ごとに十二支の名前が与えられている。たとえば第1巻は「霊主体従 子の巻」と呼ばれる。次のように計7輯から成る。


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また、章題の後ろには第1巻から累計した章番号(仮に「通巻章番号」と呼ぶことにする)が付いている。
また、章題の後ろには第1巻から累計した章番号(仮に「通巻章番号」と呼ぶことにする)が付いている。


章の総数は2108個あるが、通巻章番号は1から2047までしかない。理由は後述。 →「[[#篇と章の数]]」
章の総数は2108個あるが、通巻章番号は1から2047までしかない。また、1807~1828の22章は重複している。理由は→「[[#篇と章の数]]」


== 輯巻篇章の呼称変更 ==
== 階層構造の名称変更 ==
現在のような輯巻篇章の編成になったのは第25巻初版(大正12年5月発行)からである。次の3点が改められた。<ref>[[第23巻]]初版の凡例(大正12年3月に編者が記したもの)に「これまで第何篇と呼ばれてゐましたが、次篇第二十四篇を一と切りとして、今後は第何巻と呼ぶことに改められ、且つ全十二巻づつに各別個の表題を付することとなりました」として、「霊主体従」「如意宝珠」「海洋万里」「舎身活躍」「真善美愛」という題名が発表されている。</ref> <ref>[[第24巻]]初版の凡例で「前篇の凡例に於て、本篇を一切りとして『第一巻』『第二巻』という風に呼ぶこととなつたと述べておきましたが、その後十二支を以て呼ぶことに変更されました」と告知されている。</ref> <ref>[[第25巻]]初版の凡例:「これまで、篇、章、節に区分してありましたが、本巻より巻、篇、章の名称を以て区分しました」</ref> <ref>[[第44巻]]初版(大正13年8月18日発行)の「序」(大正11年12月9日口述者)には「二十一節原稿用紙一千二百四十枚です」と印刷されており「章」ではなく「節」になっている。ただし目次や本文では「章」になっている。</ref>
[[霊界物語]]刊行当初は、現在の巻・篇・章が、篇・章・節と呼ばれていた。また輯という概念や輯題、十二支による巻題は付けられていなかった。単に「霊界物語 第一篇」というように呼ばれていた。現在のような輯・巻・篇・章という構造になったのは[[第25巻]]初版(大正12年5月25日発行)からである。
# 12巻ずつ題名を付けることになった。
 
* [[第1巻]]初版(大正10年12月発行)から節番号(現在の章番号)は記されていた。
* [[第14巻]]初版(大正11年11月発行)から章番号(現在の篇番号)も記されるようになった。<ref>第14巻初版「凡例」:〈第十三篇までの目次や扉には、五六七 △△△といふやうに、単に節数だけを示して、章数は表はしてありませんでしたが、本篇より第八十六章△△△といふ風に章数をも示すことに致しました。本篇初頭の第八十六章は、第一篇から順に繰つて数へた章数です。〉</ref> <ref>第22巻初版は大正11年7月発行のため章番号(現在の篇番号)は記されていない。</ref>
* [[第25巻]]初版(大正12年5月25日発行)から篇・章・節を巻・篇・章に名称変更し、篇番号、通巻篇番号、章番号、通巻章番号が記されるようになった。また12巻ずつ一括り、つまり輯という概念が導入され、「海洋万里」という輯題や、十二支による巻題が付けられた。たとえば第25巻は「海洋万里 子の巻」と呼ばれた。<ref>[[第25巻]]初版の「凡例」:〈これまで、篇、章、節に区分してありましたが、本巻より巻、篇、章の名称を以て区分しました〉</ref> <ref>これは事前に第23巻初版(大正12年4月発行)「凡例」、第24巻初版(大正12年5月10日発行)「凡例」でそうなることが発表されている。[[第23巻]]初版の「凡例」では〈これまで第何篇と呼ばれてゐましたが、次篇第二十四篇を一と切りとして、今後は第何巻と呼ぶことに改められ、且つ全十二巻づつに各別個の表題を付することとなりました〉として、「霊主体従」「如意宝珠」「海洋万里」「舎身活躍」「真善美愛」という題名が発表されている。また、[[第24巻]]初版の「凡例」では〈前篇の凡例に於て、本篇を一切りとして『第一巻』『第二巻』という風に呼ぶこととなつたと述べておきましたが、その後十二支を以て呼ぶことに変更されました〉と発表されている。</ref> <ref>[[第44巻]]初版(大正13年8月18日発行)の「序」(大正11年12月9日口述者)には〈二十一節原稿用紙一千二百四十枚です〉と印刷されており「章」ではなく「節」と呼ばれている。ただし目次や本文では「章」になっている。</ref>
* [[第38巻]]初版(大正13年4月発行)から通巻篇番号は記されなくなった。
 
再度まとめると、第25巻初版から改められたのは次の3点である。
# 12巻ずつ題名(輯題)を付けることになった。
# 「篇」「章」「節」と呼んでいたものを「巻」「篇」「章」に呼び改めた。
# 「篇」「章」「節」と呼んでいたものを「巻」「篇」「章」に呼び改めた。
# 各巻を十二支の名で呼ぶことになった。
# 各巻を十二支の名で呼ぶことになった。


従って、
従って、
# 第24巻までの初版には「霊主体従」や「如意宝珠」という題名は付いていない。
# 第24巻までの初版には「霊主体従」や「如意宝珠」という輯題は付いていない。
# 第24巻までの初版の題名は「霊界物語 第二十四篇」等になっている。
# 第24巻までの初版の題名は「霊界物語 第二十四篇」等になっている。
# 第25巻初版以降の題名は「霊界物語 海洋万里 子の巻」等になっている。
# 第25巻初版以降の題名は「霊界物語 海洋万里 子の巻」等になっている。
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ただし通巻の章番号は2047(第81巻第20章)までしかない。これは[[入蒙記]](39章)には通巻章番号が振られておらず、また[[第64巻下]]の通巻章番号(1807~1828の22章)が他の巻と重複しているからである。そのため 2047+39+22=2108 となる。(重複理由については「[[霊界物語#巻番号の変動]]」の項を参照)
ただし通巻の章番号は2047(第81巻第20章)までしかない。これは[[入蒙記]](39章)には通巻章番号が振られておらず、また[[第64巻下]]の通巻章番号(1807~1828の22章)が他の巻と重複しているからである。そのため 2047+39+22=2108 となる。(重複理由については「[[霊界物語#巻番号の変動]]」の項を参照)


[[第7巻]]までは50章ずつで、[[第8巻]]から章の数が減っているが、{{rm09|8|0001|序文}}にその理由として「総じてこの霊界物語は、口述の最初に当り五百六十七節にて完成する考へを以て、一冊を五十節に刻み全十二冊の予定のところ、到底是にてはその一部分をも講了すべからざるを覚り、本巻よりは一冊五十章組の規定を破り、口の車の行き突きばつたりに歩を進むる事と致しました」と記されている。
[[第7巻]]までは50章ずつで、[[第8巻]]から章の数が減っているが、{{rm09|8|0001|序文}}にその理由として〈総じてこの霊界物語は、口述の最初に当り五百六十七節にて完成する考へを以て、一冊を五十節に刻み全十二冊の予定のところ、到底是にてはその一部分をも講了すべからざるを覚り、本巻よりは一冊五十章組の規定を破り、口の車の行き突きばつたりに歩を進むる事と致しました〉と記されている。


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! 合計 || 369 || 2108
! 合計 || 369 || 2108
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== 巻番号の変動 ==
[[第66巻]]以降は、口述時の巻番号と出版時の巻番号に変動がある。これは第71巻(現・[[第64巻下]])が発禁になったため巻番号を再編成したと思われる。 →「[[霊界物語の口述日と初版発行日#各巻の口述日と初版発行日]]」を参照
== 通巻章番号の変動 ==
巻番号が変動したため、通巻の章番号にも変動が生じている。当初は口述順で付けられた思われるが、第71巻(現・[[第64巻下]])の発禁によって巻構成が再編成され、それに伴い通巻章番号も付け直されたのだと思われる。
第67巻([[王仁蒙古入記]]→[[入蒙記]])と第71巻(現在の[[第64巻下]])が巻構成から除外されたため、61章減っている(1892→1831)。
第67巻は『[[王仁蒙古入記]]』と題して出版された後も、霊界物語の巻として刊行する予定だったらしく<ref>[[校定版]]のあとがき(昭和45年)に「出口聖師の入蒙記録は(略)「王仁蒙古入記」として大正十四年二月十四日蚕都新聞社から出版されたものです。 その後、霊界物語第六十七巻として発行される予定でしたが」とある。</ref>、それを前提に第71巻(現・第64巻下)は通巻章番号1807~1828が付けられて刊行されたのだと思われる。発禁となり、大戦後に第64巻下として発行されたが<ref>第64巻と合冊して発行せよと王仁三郎の指示があった。</ref>、通巻章番号はそのままとしたため、1807~1828は'''他の巻(第71~72巻)と重複'''することとなった。
{| class="wikitable"
! 口述時の巻番号 !! 章の数 !! 口述順で付けた場合の通巻章番号 !! 初版の巻番号 !! 発行順 !! 発行時の通巻章番号 !! 現在の巻番号
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| 第64巻 || 27 || 1630~1656 || 第64巻 || ② || 1630~1656 || [[第64巻上]]
|-
| 第65巻 || 26 || 1657~1682 || 第65巻 || ⑥ || 1657~1682 || [[第65巻]]
|-
| 第66巻 || 22 || 1683~1704 || 第69巻 || ⑩ || 1746~1767 || [[第69巻]]
|-
| 第67巻 || 39 || 1705~1743 || [[王仁蒙古入記]] || ① || なし || -
|-
| 第68巻 || 20 || 1744~1763 || 第66巻 || ⑦ || 1683~1702 || [[第66巻]]
|-
| 第69巻 || 22 || 1764~1785 || 第67巻 || ⑧ || 1703~1724 || [[第67巻]]
|-
| 第70巻 || 21 || 1786~1806 || 第68巻 || ⑨ || 1725~1745 || [[第68巻]]
|-
| 入蒙記 || 39 || ? || - || - || なし || [[入蒙記]]
|-
| 第71巻 || 22 || 1807~1828 || 第71巻【発禁】 || ③ || 1807~1828 || [[第64巻下]]
|-
| 第72巻 || 22 || 1829~1850 || 第70巻 || ⑪ || 1768~1789 || [[第70巻]]
|-
| 第73巻 || 20 || 1851~1870 || 第71巻 || ⑫ || 1790~1809 || [[第71巻]]
|-
| 第74巻 || 22 || 1871~1892 || 第72巻 || ⑬ || 1810~1831 || [[第72巻]]
|}
== 関連項目 ==
* [[:カテゴリ:霊界物語の篇題]]
* [[:カテゴリ:霊界物語の章題]]


== 脚注 ==
== 脚注 ==
<references/>
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[[Category:霊界物語|*]]
[[Category:霊界物語]]

2025年3月9日 (日) 06:00時点における最新版

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霊界物語の輯巻篇章(れいかいものがたりの しゅう かん へん しょう)では、霊界物語の文章の階層構造である輯、巻、篇、章について解説する。

霊界物語は12巻を一組として「輯」と呼ぶ[1]。各巻は数個の「篇」に分かれ、その篇はさらに数個の「章」に分かれている。

霊界物語は全7輯、全81巻(全83冊)、全369篇、全2108章によって構成されている。

輯にはそれぞれ題名が付けられており、1巻ごとに十二支の名前が与えられている。たとえば第1巻は「霊主体従 子の巻」と呼ばれる。次のように計7輯から成る。

輯題 冊数
1 第1~12巻 霊主体従(れいしゅたいじゅう) 12冊
2 第13~24巻 如意宝珠(にょいほっしゅ) 12冊
3 第25~36巻 海洋万里(かいようばんり) 12冊
4 第37~48巻 舎身活躍(しゃしんかつやく) 12冊
5 第49~60巻 真善美愛(しんぜんびあい) 12冊
6 第61~72巻 山河草木(さんかそうもく) 14冊(注)
7 第73~81巻 天祥地瑞(てんしょうちずい) 9冊
合計 83冊

(注)山河草木に巻外の特別篇として「入蒙記」が入っており、また第64巻が上・下の2冊あるので14冊になる。

山河草木の後は「千山万水(せんざんばんすい)」という輯題になる予定で第73巻と第74巻が口述された[2]。しかし第67巻が『王仁蒙古入記』と題して出版され、第71巻(現・第64巻下)が発禁となり2巻減ったため、第73・74巻は第71・72巻に改められ山河草木の中に収まった。

章番号と通巻章番号

篇も章もそれぞれ番号と題名が付いているが、章の番号は篇ごとに第1章から始まるのではなく、巻を通した連番になっている。たとえば第1篇が第5章まである場合、第2篇は第6章から始まる。

また、章題の後ろには第1巻から累計した章番号(仮に「通巻章番号」と呼ぶことにする)が付いている。

章の総数は2108個あるが、通巻章番号は1から2047までしかない。また、1807~1828の22章は重複している。理由は→「#篇と章の数

階層構造の名称変更

霊界物語刊行当初は、現在の巻・篇・章が、篇・章・節と呼ばれていた。また輯という概念や輯題、十二支による巻題は付けられていなかった。単に「霊界物語 第一篇」というように呼ばれていた。現在のような輯・巻・篇・章という構造になったのは第25巻初版(大正12年5月25日発行)からである。

  • 第1巻初版(大正10年12月発行)から節番号(現在の章番号)は記されていた。
  • 第14巻初版(大正11年11月発行)から章番号(現在の篇番号)も記されるようになった。[3] [4]
  • 第25巻初版(大正12年5月25日発行)から篇・章・節を巻・篇・章に名称変更し、篇番号、通巻篇番号、章番号、通巻章番号が記されるようになった。また12巻ずつ一括り、つまり輯という概念が導入され、「海洋万里」という輯題や、十二支による巻題が付けられた。たとえば第25巻は「海洋万里 子の巻」と呼ばれた。[5] [6] [7]
  • 第38巻初版(大正13年4月発行)から通巻篇番号は記されなくなった。

再度まとめると、第25巻初版から改められたのは次の3点である。

  1. 12巻ずつ題名(輯題)を付けることになった。
  2. 「篇」「章」「節」と呼んでいたものを「巻」「篇」「章」に呼び改めた。
  3. 各巻を十二支の名で呼ぶことになった。

従って、

  1. 第24巻までの初版には「霊主体従」や「如意宝珠」という輯題は付いていない。
  2. 第24巻までの初版の題名は「霊界物語 第二十四篇」等になっている。
  3. 第25巻初版以降の題名は「霊界物語 海洋万里 子の巻」等になっている。

篇と章の数

霊界物語の篇の総数は369、章の総数は2108ある。

ただし通巻の章番号は2047(第81巻第20章)までしかない。これは入蒙記(39章)には通巻章番号が振られておらず、また第64巻下の通巻章番号(1807~1828の22章)が他の巻と重複しているからである。そのため 2047+39+22=2108 となる。(重複理由については「霊界物語#巻番号の変動」の項を参照)

第7巻までは50章ずつで、第8巻から章の数が減っているが、第8巻序文#にその理由として〈総じてこの霊界物語は、口述の最初に当り五百六十七節にて完成する考へを以て、一冊を五十節に刻み全十二冊の予定のところ、到底是にてはその一部分をも講了すべからざるを覚り、本巻よりは一冊五十章組の規定を破り、口の車の行き突きばつたりに歩を進むる事と致しました〉と記されている。

篇の数 章の数
第1巻 5 50
第2巻 7 50
第3巻 12 50
第4巻 9 50
第5巻 7 50
第6巻 8 50
第7巻 9 50
第8巻 6 43
第9巻 5 37
第10巻 3 37
第11巻 5 29
第12巻 4 30
第13巻 5 24
第14巻 4 17
第15巻 4 23
第16巻 3 21
第17巻 3 17
第18巻 5 17
第19巻 4 17
第20巻 3 12
第21巻 4 18
第22巻 5 20
第23巻 4 18
第24巻 4 16
第25巻 5 19
第26巻 4 17
第27巻 5 18
第28巻 4 22
第29巻 4 20
第30巻 5 24
第31巻 4 25
第32巻 4 24
第33巻 4 26
第34巻 3 23
第35巻 3 24
第36巻 4 24
第37巻 4 25
第38巻 5 28
第39巻 5 19
第40巻 4 20
第41巻 4 21
第42巻 5 26
第43巻 5 18
第44巻 3 21
第45巻 4 20
第46巻 4 23
第47巻 3 21
第48巻 4 20
第49巻 4 20
第50巻 4 21
第51巻 4 21
第52巻 5 27
第53巻 4 23
第54巻 5 22
第55巻 4 22
第56巻 4 20
第57巻 3 25
第58巻 4 25
第59巻 4 25
第60巻 5 25
第61巻 5 25
第62巻 6 32
第63巻 5 22
第64巻上 5 27
第64巻下 4 22
第65巻 5 26
第66巻 4 20
第67巻 4 22
第68巻 5 21
第69巻 4 22
第70巻 3 22
第71巻 3 20
第72巻 3 22
入蒙記 5 39
第73巻 3 37
第74巻 3 26
第75巻 4 23
第76巻 3 15
第77巻 4 24
第78巻 4 25
第79巻 3 23
第80巻 3 23
第81巻 4 20
合計 369 2108

巻番号の変動

第66巻以降は、口述時の巻番号と出版時の巻番号に変動がある。これは第71巻(現・第64巻下)が発禁になったため巻番号を再編成したと思われる。 →「霊界物語の口述日と初版発行日#各巻の口述日と初版発行日」を参照

通巻章番号の変動

巻番号が変動したため、通巻の章番号にも変動が生じている。当初は口述順で付けられた思われるが、第71巻(現・第64巻下)の発禁によって巻構成が再編成され、それに伴い通巻章番号も付け直されたのだと思われる。

第67巻(王仁蒙古入記入蒙記)と第71巻(現在の第64巻下)が巻構成から除外されたため、61章減っている(1892→1831)。

第67巻は『王仁蒙古入記』と題して出版された後も、霊界物語の巻として刊行する予定だったらしく[8]、それを前提に第71巻(現・第64巻下)は通巻章番号1807~1828が付けられて刊行されたのだと思われる。発禁となり、大戦後に第64巻下として発行されたが[9]、通巻章番号はそのままとしたため、1807~1828は他の巻(第71~72巻)と重複することとなった。

口述時の巻番号 章の数 口述順で付けた場合の通巻章番号 初版の巻番号 発行順 発行時の通巻章番号 現在の巻番号
第64巻 27 1630~1656 第64巻 1630~1656 第64巻上
第65巻 26 1657~1682 第65巻 1657~1682 第65巻
第66巻 22 1683~1704 第69巻 1746~1767 第69巻
第67巻 39 1705~1743 王仁蒙古入記 なし -
第68巻 20 1744~1763 第66巻 1683~1702 第66巻
第69巻 22 1764~1785 第67巻 1703~1724 第67巻
第70巻 21 1786~1806 第68巻 1725~1745 第68巻
入蒙記 39 - - なし 入蒙記
第71巻 22 1807~1828 第71巻【発禁】 1807~1828 第64巻下
第72巻 22 1829~1850 第70巻 1768~1789 第70巻
第73巻 20 1851~1870 第71巻 1790~1809 第71巻
第74巻 22 1871~1892 第72巻 1810~1831 第72巻

関連項目

脚注

  1. 12巻ごとを「輯」と呼ぶことは霊界物語中の数ヶ所に記されている。【例】第50巻序文#:霊界物語第一巻より第十二巻までを第一とし改めて「霊主体従」と題し、第十三巻より第廿四巻迄を「如意宝珠」と題し、第廿五巻より第卅六巻までを第三とし「海洋万里」と題し、第卅七巻より第四十八巻迄を第四とし「舎身活躍」と題し、第五に当る「真善美愛」と題せる物語を」、第48巻第9章罪人橋#:「此語字については霊界物語第二第三巻(第十五巻)第一天国と云ふ所に」
  2. 第71巻序文#:「山河草木の続篇として、更に十二巻を千山万水と命名して口述することに致します」
  3. 第14巻初版「凡例」:〈第十三篇までの目次や扉には、五六七 △△△といふやうに、単に節数だけを示して、章数は表はしてありませんでしたが、本篇より第八十六章△△△といふ風に章数をも示すことに致しました。本篇初頭の第八十六章は、第一篇から順に繰つて数へた章数です。〉
  4. 第22巻初版は大正11年7月発行のため章番号(現在の篇番号)は記されていない。
  5. 第25巻初版の「凡例」:〈これまで、篇、章、節に区分してありましたが、本巻より巻、篇、章の名称を以て区分しました〉
  6. これは事前に第23巻初版(大正12年4月発行)「凡例」、第24巻初版(大正12年5月10日発行)「凡例」でそうなることが発表されている。第23巻初版の「凡例」では〈これまで第何篇と呼ばれてゐましたが、次篇第二十四篇を一と切りとして、今後は第何巻と呼ぶことに改められ、且つ全十二巻づつに各別個の表題を付することとなりました〉として、「霊主体従」「如意宝珠」「海洋万里」「舎身活躍」「真善美愛」という題名が発表されている。また、第24巻初版の「凡例」では〈前篇の凡例に於て、本篇を一切りとして『第一巻』『第二巻』という風に呼ぶこととなつたと述べておきましたが、その後十二支を以て呼ぶことに変更されました〉と発表されている。
  7. 第44巻初版(大正13年8月18日発行)の「序」(大正11年12月9日口述者)には〈二十一節原稿用紙一千二百四十枚です〉と印刷されており「章」ではなく「節」と呼ばれている。ただし目次や本文では「章」になっている。
  8. 校定版のあとがき(昭和45年)に「出口聖師の入蒙記録は(略)「王仁蒙古入記」として大正十四年二月十四日蚕都新聞社から出版されたものです。 その後、霊界物語第六十七巻として発行される予定でしたが」とある。
  9. 第64巻と合冊して発行せよと王仁三郎の指示があった。