「岡田茂吉」の版間の差分
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* 大正15年(1926年)の暮れ、初めて神の啓示を受ける。自動書記で神示が降りて、3ヶ月の間に便箋3~400枚を書いた。〈その内容は五十万年前の原始時代から七千年前にいたる日本の創世記にはじまり、未来の人類の歴史をたどるもので、さらに茂吉自身の過去、現在、未来にわたる運命を解明していた。予言は後になって満州事変や太平洋戦争、そして戦後の世界情勢のなかに事実となって現われた。(略)残念なことに、この記録は残されていない。神示の内容には皇室の運命に言及しているところもあり、万が一官憲の目に触れることがあったはとの危惧から、ひそかにブリキ缶に収めて縁の下に隠されていた。(略)茂吉も大本に所属していたため、身辺は常に監視の目が光り、しばしば出頭を命じられた。そこで、身の危険を感じた彼は、この記録をいっさい焼却してしまった。戦後になって、彼は記憶をたどり未来世界の啓示を「二十一世紀」と題する文章にまとめている。〉<ref>『神様を~』210~212頁</ref> <ref>「二十一世紀」は『岡田茂吉全集 著述篇 第6巻』109~121頁に収録されている。昭和23年著。</ref>。 | * 大正15年(1926年)の暮れ、初めて神の啓示を受ける。自動書記で神示が降りて、3ヶ月の間に便箋3~400枚を書いた。〈その内容は五十万年前の原始時代から七千年前にいたる日本の創世記にはじまり、未来の人類の歴史をたどるもので、さらに茂吉自身の過去、現在、未来にわたる運命を解明していた。予言は後になって満州事変や太平洋戦争、そして戦後の世界情勢のなかに事実となって現われた。(略)残念なことに、この記録は残されていない。神示の内容には皇室の運命に言及しているところもあり、万が一官憲の目に触れることがあったはとの危惧から、ひそかにブリキ缶に収めて縁の下に隠されていた。(略)茂吉も大本に所属していたため、身辺は常に監視の目が光り、しばしば出頭を命じられた。そこで、身の危険を感じた彼は、この記録をいっさい焼却してしまった。戦後になって、彼は記憶をたどり未来世界の啓示を「二十一世紀」と題する文章にまとめている。〉<ref>『神様を~』210~212頁</ref> <ref>「二十一世紀」は『岡田茂吉全集 著述篇 第6巻』109~121頁に収録されている。昭和23年著。</ref>。 | ||
* 茂吉は救いの業を身に付けるため鎮魂帰神法の習得と実践に全身全霊を打ち込む。それにより病人の奇跡的な治癒が相次いだ。 →「[[#手かざしのルーツ]]」 | * 茂吉は救いの業を身に付けるため鎮魂帰神法の習得と実践に全身全霊を打ち込む。それにより病人の奇跡的な治癒が相次いだ。 →「[[#手かざしのルーツ]]」 | ||
* 〈1927年(昭和2年)、[[東京愛信会]]の明光支社・主任となる。同年三女・斎誕生。1928年(昭和3年)2月4日、事業の一切を部下に委譲し、一層、不可視力の研究に没頭する。同年4月、大本教の准宣伝使、同7月には正宣伝使、翌1929年(昭和4年)には東京本部・常任委員となる。〉<ref> | * 〈1927年(昭和2年)、[[東京愛信会]]の明光支社・主任となる。同年三女・斎誕生。1928年(昭和3年)2月4日、事業の一切を部下に委譲し、一層、不可視力の研究に没頭する。同年4月、大本教の准宣伝使、同7月には正宣伝使、翌1929年(昭和4年)には東京本部・常任委員となる。〉<ref>これはWikipediaからの引用。典拠は不明。</ref> | ||
* 昭和6年(1931年)6月15日、千葉県の鋸山の山頂で「夜昼転換」の啓示を受ける(霊界で夜(闇)の時代から昼(明)の時代へ転換し始めたことを知らされた)。 | * 昭和6年(1931年)6月15日、千葉県の鋸山の山頂で「夜昼転換」の啓示を受ける(霊界で夜(闇)の時代から昼(明)の時代へ転換し始めたことを知らされた)。 | ||
* 昭和9年(1934年)9月15日、茂吉は正式な届けを出して大本を離れる。 | * 昭和9年(1934年)9月15日、茂吉は正式な届けを出して大本を離れる。 | ||
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== 外部リンク == | == 外部リンク == | ||
* [https://sekaikyuuseikyou.or.jp/ancestor/history 略年譜](世界救世教公式サイト内) | * [https://sekaikyuuseikyou.or.jp/ancestor/history 略年譜](世界救世教公式サイト内) | ||
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== 脚注 == | == 脚注 == | ||