「西村光月」の版間の差分

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* 大正13年(1924年)9月、海外宣伝部のエス語・英語部の主任となる。
 
* 大正13年(1924年)9月、海外宣伝部のエス語・英語部の主任となる。
 
* 大正14年(1925年)6月、王仁三郎の命令で渡欧。ジュネーブで開催された世界エスペラント大会に出席。パリに[[人類愛善会]]欧州本部を設置。エス文の月刊誌・書籍を発刊。欧州宣教に尽力した。
 
* 大正14年(1925年)6月、王仁三郎の命令で渡欧。ジュネーブで開催された世界エスペラント大会に出席。パリに[[人類愛善会]]欧州本部を設置。エス文の月刊誌・書籍を発刊。欧州宣教に尽力した。
* 大正15年(1926年)大宣伝使に任命される。
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* 大正15年(1926年)大宣伝使に任命される。<ref>大正15年(1926年)旧7月12日(新8月19日)付で[[出口宇知丸]]、[[井上留五郎]]、西村光月の3人が大宣伝使に任命されている。〔『[[真如の光]]』大正15年(1926年)8月25日号、30頁〕</ref>
 
* 昭和8年(1933年)1月まで欧州本部長として活躍する。
 
* 昭和8年(1933年)1月まで欧州本部長として活躍する。
 
* 昭和10年(1935年)[[第二次大本事件]]で起訴され、3年10ヶ月の獄中生活を送る。
 
* 昭和10年(1935年)[[第二次大本事件]]で起訴され、3年10ヶ月の獄中生活を送る。

2024年7月30日 (火) 11:38時点における最新版

西村光月(にしむら こうげつ、1883~1973年)は、大本宣伝使。本名・昂三。

略歴

  • 明治16年(1883年)4月22日、島根県飯石郡吉田村で生まれる。
  • 中学校教員を経て、大正2年(1913年)9月、鹿児島県立商船水産学校の英語教員となる。
  • 大本の話を聞いて、大正8年(1919年)1月1日に初参綾、入信。一家をあげて亀岡に移住。
  • 大正9年(1920年)9月、大正日日新聞記者となり、英文欄を担当する。
  • 大正13年(1924年)9月、海外宣伝部のエス語・英語部の主任となる。
  • 大正14年(1925年)6月、王仁三郎の命令で渡欧。ジュネーブで開催された世界エスペラント大会に出席。パリに人類愛善会欧州本部を設置。エス文の月刊誌・書籍を発刊。欧州宣教に尽力した。
  • 大正15年(1926年)大宣伝使に任命される。[1]
  • 昭和8年(1933年)1月まで欧州本部長として活躍する。
  • 昭和10年(1935年)第二次大本事件で起訴され、3年10ヶ月の獄中生活を送る。
  • 昭和17年(1942年)7月、二審判決で無罪となり出所する。
  • 昭和21年(1946年)大本が新発足すると参議となる。
  • 昭和40年(1965年)8月、審査局長。
  • その他教団の重職を歴任。
  • 昭和48年(1973年)4月2日、帰幽。享年90歳。

〔この略歴は『愛善苑』昭和48年(1973年)5月号、29頁の記事をもとに作成した〕

脚注

  1. 大正15年(1926年)旧7月12日(新8月19日)付で出口宇知丸井上留五郎、西村光月の3人が大宣伝使に任命されている。〔『真如の光』大正15年(1926年)8月25日号、30頁〕