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聖師

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'''聖師'''(せいし)とは、
(1) [[出口王仁三郎]]に対する尊称。それまでは「大先生」と呼ばれていたが、大正14年(1925年)6月の終わり頃から「聖師様」と呼ばれるようになった。に対する尊称。それまでは「大先生」と呼ばれていたが、大正14年(1925年)6月の終わり頃から「聖師様」と呼ばれるようになった。王仁三郎の指示による呼称ではなく、信徒が自発的に使い出した呼称である。
(2) [[霊界物語]][[第64巻]]上下で、次の4人が「聖師」と呼ばれている。<ref>[[第64巻上]]は大正12年(1923年)7月に、(当時の巻番号は第64巻)は大正12年(1923年)7月に、[[第64巻下]](当時の巻番号は第71巻)は大正14年(1925年)8月に口述された。</ref>
# [[アメリカン・コロニー]]の執事・[[スバッフォード]] …初出:{{rm|64a|1|橄欖山}}
# [[ルートバハー]]の宣伝使・[[ブラバーサ]] …初出:{{rm|64a|3|聖地夜}}
# [[ルートバハー]]の教主・[[ウズンバラ・チャンダー]] …初出:{{rm|64b|1|復活祭}}
本項では(1)について解説する。
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 聖師は、何か書かれる時、[[瑞霊真如]]と書かれる時もあった。それがまたいつの間にか〝瑞霊真如聖師〟という一つの称号になってしまった。大正十四年の六月ごろである。|[[大国美都雄]]『[[真偽二道]]』昭和58年(1983年)、p103-104}}
* [[大本年表]]の大正14年6月30日の項に「聖師を瑞霊真如聖師と称える」と記されている。* 『[[大本七十年史]]』には次のように記されている。「六月三〇日には、大本および大本瑞祥会の第二次規約改正をおこなった。それによって、これまで教主輔ならびに大本総裁であった出口王仁三郎は、たんなる一教団大本の王仁三郎でなく、神命により「瑞霊真如聖師」として自由に世界的に活動することとなり、これ以後王仁三郎を「聖師」とよぶことになった」。<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c4442|機構の改革と人事}}」</ref>* {{rm|nm|4|微燈の影}}では、大正13年(1924年)2月9日(旧正月5日)に[[隆光彦]]([[北村隆光]])や[[唐国別]]([[矢野祐太郎]])が[[日出雄]]([[王仁三郎]])に対して「聖師」(聖師様)と呼んでいる。しかしこの時点ではまだ聖師という尊称で呼んでいるはずがない。霊界物語[[入蒙記]]は『[[出口王仁三郎全集]] 第六巻』収録の「入蒙記」を原本にしており、この第4章「微燈の影」は大正14年8月15日(「聖師」呼称開始後)に口述されたものである。その前身である『[[王仁蒙古入記]]』は大正14年2月12日発行(「聖師」呼称開始前)で、該当箇所(「二 縦談横説」)は「聖師」ではなく「先生」になっている。「入蒙記」として新たに口述した際に、「先生」を「聖師」に改めたようである。 == 関連項目 ==* [[瑞霊真如]]
== 脚注 ==

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