「神の国 (1921)」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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'''神の国'''(かみのくに)は、[[大本]]の機関誌。『[[神霊界]]』誌が大正10年(1921年)6月で廃刊となり、代わって『神の国』が8月に創刊された。
 
'''神の国'''(かみのくに)は、[[大本]]の機関誌。『[[神霊界]]』誌が大正10年(1921年)6月で廃刊となり、代わって『神の国』が8月に創刊された。
  
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「発刊の辞」に──『神霊界』は「主として神界霊界の消息を伝へ、国民に対して一大警鐘を乱打し来(きた)つた」が、その消息は「幽玄窃冥であつて、独り之を以て現実世界に臨むは、今後に処する所以にあらざる」ところだから、霊体一致、神人不離の活動に入り、神国建設の功を上げるために『神の国』を発刊した──と記されている<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c3231|教団の改革}}」</ref>。
 
「発刊の辞」に──『神霊界』は「主として神界霊界の消息を伝へ、国民に対して一大警鐘を乱打し来(きた)つた」が、その消息は「幽玄窃冥であつて、独り之を以て現実世界に臨むは、今後に処する所以にあらざる」ところだから、霊体一致、神人不離の活動に入り、神国建設の功を上げるために『神の国』を発刊した──と記されている<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c3231|教団の改革}}」</ref>。
  
 
当初は月刊、大正11年10月から10日・25日の月2回発行<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c4224|新機運の動向}}」</ref>、大正13年(1924年)8月からはそれまでのB5版をB6版(約100頁)にあらためて月2回発行となり、大正14年8月からは月刊に戻る<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c4444|国内宣教と造営}}」</ref>。昭和4年(1929年)3月からはA5版となる<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5132|本部の体制}}」</ref>。昭和7年(1932年)4月頃の発行部数は1万5千部だった<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5421|本部での動き}}」</ref>。 大正14年(1925年)11月号は11月11日に発禁となり原稿が押収される<ref>『真如の光』大正14年(1925年)11月15日号p48</ref>。
 
当初は月刊、大正11年10月から10日・25日の月2回発行<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c4224|新機運の動向}}」</ref>、大正13年(1924年)8月からはそれまでのB5版をB6版(約100頁)にあらためて月2回発行となり、大正14年8月からは月刊に戻る<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c4444|国内宣教と造営}}」</ref>。昭和4年(1929年)3月からはA5版となる<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5132|本部の体制}}」</ref>。昭和7年(1932年)4月頃の発行部数は1万5千部だった<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5421|本部での動き}}」</ref>。 大正14年(1925年)11月号は11月11日に発禁となり原稿が押収される<ref>『真如の光』大正14年(1925年)11月15日号p48</ref>。
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昭和7年(1932年)10月号から発行日が毎月10日から1日に変更となる<ref>『神の国』昭和7年(1932年)9月号p93「編輯後記」</ref>。
  
 
昭和10年(1935年)12月号(第15巻第12号・通巻第203号)まで発行されたが、以後は[[第二次大本事件]]により廃刊となった。
 
昭和10年(1935年)12月号(第15巻第12号・通巻第203号)まで発行されたが、以後は[[第二次大本事件]]により廃刊となった。
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創刊初期の表紙には「神の国」の題号の上に神代文字で「カミノクニ」(右書き)と記されていた(創刊号の表紙画像を参照)。この神代文字は[[言霊学]]で使われる[[水茎文字]]ではなく、平田篤胤が『神字日文伝(しんじひふみでん)』で発表した神代文字「日文(ひふみ)」である<ref>神代文字「日文」が書いてあるページ:平田篤胤・著 {{Pid|2562730/1/24|神字日文伝 2巻附録1巻}}</ref> <ref><wp>神字日文伝</wp></ref>。
  
 
== 復刻版 ==
 
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== 関連項目 ==
 
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* [[神の国 (1952)]]:戦後の大本の機関誌。昭和27年(1952年)9月に『[[海潮]]』から改題。
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* [[神の国 (1950)]]:戦後の大本の機関誌。昭和25年(1950年)9月に『[[海潮]]』から改題。
 
* [[神の国 (1990)]]:[[愛善苑 (1986)|愛善苑]]の機関誌。
 
* [[神の国 (1990)]]:[[愛善苑 (1986)|愛善苑]]の機関誌。
  

2024年4月8日 (月) 14:15時点における最新版

この項目では、戦前の大本の機関誌について説明しています。その他の用法については「神の国 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

『神の国』大正10年(1921年)8月号(創刊号)の表紙。(『写真図説 民衆の宗教・大本』p30掲載の写真)

神の国(かみのくに)は、大本の機関誌。『神霊界』誌が大正10年(1921年)6月で廃刊となり、代わって『神の国』が8月に創刊された。

概要

「発刊の辞」に──『神霊界』は「主として神界霊界の消息を伝へ、国民に対して一大警鐘を乱打し来(きた)つた」が、その消息は「幽玄窃冥であつて、独り之を以て現実世界に臨むは、今後に処する所以にあらざる」ところだから、霊体一致、神人不離の活動に入り、神国建設の功を上げるために『神の国』を発刊した──と記されている[1]

当初は月刊、大正11年10月から10日・25日の月2回発行[2]、大正13年(1924年)8月からはそれまでのB5版をB6版(約100頁)にあらためて月2回発行となり、大正14年8月からは月刊に戻る[3]。昭和4年(1929年)3月からはA5版となる[4]。昭和7年(1932年)4月頃の発行部数は1万5千部だった[5]。 大正14年(1925年)11月号は11月11日に発禁となり原稿が押収される[6]

昭和7年(1932年)10月号から発行日が毎月10日から1日に変更となる[7]

昭和10年(1935年)12月号(第15巻第12号・通巻第203号)まで発行されたが、以後は第二次大本事件により廃刊となった。

創刊初期の表紙には「神の国」の題号の上に神代文字で「カミノクニ」(右書き)と記されていた(創刊号の表紙画像を参照)。この神代文字は言霊学で使われる水茎文字ではなく、平田篤胤が『神字日文伝(しんじひふみでん)』で発表した神代文字「日文(ひふみ)」である[8] [9]

復刻版

『神の国』復刻版(八幡書店)の表紙。

平成17年(2005年)12月8日に八幡書店から『神の国』大正10年(1921年)8月号(創刊号)から11月号までの4号を収録した復刻版が発行された。(OBN:1928

関連項目

脚注

  1. 大本七十年史 上巻』「教団の改革#
  2. 大本七十年史 上巻』「新機運の動向#
  3. 大本七十年史 上巻』「国内宣教と造営#
  4. 大本七十年史 下巻』「本部の体制#
  5. 大本七十年史 下巻』「本部での動き#
  6. 『真如の光』大正14年(1925年)11月15日号p48
  7. 『神の国』昭和7年(1932年)9月号p93「編輯後記」
  8. 神代文字「日文」が書いてあるページ:平田篤胤・著 国立国会図書館デジタルコレクション蔵書『神字日文伝 2巻附録1巻』 PID:2562730/1/24
  9. 神字日文伝 - ウィキペディア