「出口栄二」の版間の差分
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2020年2月11日 (火) 21:53時点における版
出口栄二(でぐち えいじ)(1919 - 2006)は、出口直美の夫。旧姓・家口。(榮二)
- 大正8年(1919年)5月27日(旧4月28日)佐賀市で生まれる。母は家口いく。
- 昭和17年(1942年)、早稲田大学法学部卒業。
- 昭和20年(1945年)4月16日(旧3月5日)、出口直美と結婚。
- 昭和33年(1958年)4月、出口宇知麿の後任として大本総長に就任。
- 昭和37年(1962年)10月、大本総長を辞任。
- 昭和56年(1981年)9月、教団から追放される。
- 同年12月8日、教団を相手取り地位確認等の訴訟を起こす。
- 平成2年(1990年)10月、訴訟を取り下げる。
- 平成18年(2006年)12月22日(旧11月3日)帰幽。87歳。
日本宗教学会員。
家族
- 父は家口顕(やぐち あきら)。母は家口いく。
- 8人兄弟。上から、愛子(よしこ。昭和23年3月30日に死去)、文子(望月)、笑子(えみこ。死去-年月日不明)、省一(昭和15年9月11日に死去)、久子(森永)、栄二(出口)、喜代子(米川)、和子(桜井)。[1]
- 妻は出口直美。
- 子供に、出口直子、御遊、紫がいる。
主な著書
- 『内外宗教の研究』、東通社出版部、1968年
- 『大本教事件』、三一書房、1970年
- 『写真図説 民衆の宗教・大本』、学燈社、1970年
- 『出口栄二選集』全4巻、講談社、1979年
- 『現代を駆る出口王仁三郎』、愛善世界社、1996年
- 『王仁三郎精神に生きる』、愛善世界社、1999年