「カルマタ国」の版間の差分
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* [[デカタン高原]]の東北、あるいは北にある。<ref>{{rm|41|7忍術使}}:「ウラル彦の落胤なる常暗彦を推戴し、'''デカタン高原の東北方'''にあたるカルマタ国に、ウラル教の本城を構へ」</ref> <ref>{{rm|43|13|軍談}}:「又もや'''デカタン高原の北方'''なるカルマタ国に」</ref> | * [[デカタン高原]]の東北、あるいは北にある。<ref>{{rm|41|7忍術使}}:「ウラル彦の落胤なる常暗彦を推戴し、'''デカタン高原の東北方'''にあたるカルマタ国に、ウラル教の本城を構へ」</ref> <ref>{{rm|43|13|軍談}}:「又もや'''デカタン高原の北方'''なるカルマタ国に」</ref> | ||
* カルマタ国に「[[牛の湖水]]」がある。[[インデス河]]は[[タラハン国]]の中心を流れ、カルマタ国の牛の湖水に注いでいる。タラハン国の南にカルマタ国がある。<ref>{{rm|68|18|救の網}}:「浅倉山脈の千尾千谷より流れ落つる玉野川の下流をインデス河と云ふ。此河はタラハン国の中心を流れ、北より南に遠くカルマタ国の牛の湖水に注いでゐる」</ref> | * カルマタ国に「[[牛の湖水]]」がある。[[インデス河]]は[[タラハン国]]の中心を流れ、カルマタ国の牛の湖水に注いでいる。タラハン国の南にカルマタ国がある。<ref>{{rm|68|18|救の網}}:「浅倉山脈の千尾千谷より流れ落つる玉野川の下流をインデス河と云ふ。此河はタラハン国の中心を流れ、北より南に遠くカルマタ国の牛の湖水に注いでゐる」</ref> | ||
− | * | + | * [[ウラル教]]の[[常暗彦]]が割拠している。<ref>{{rm|40|1|大雲山}}:「カルマタ国に割拠する 常暗彦は日に月に」</ref> |
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2019年8月11日 (日) 11:47時点における最新版
カルマタ国(かるまたこく)は、霊界物語に登場する国。月の国にある国々の一つ。
概要
- 初出:第40巻第1章「大雲山」#
- 地教山の西南麓にある、かなり広い国。[1] [2]
- デカタン高原の東北、あるいは北にある。[3] [4]
- カルマタ国に「牛の湖水」がある。インデス河はタラハン国の中心を流れ、カルマタ国の牛の湖水に注いでいる。タラハン国の南にカルマタ国がある。[5]
- ウラル教の常暗彦が割拠している。[6]
主なエピソード
カルマタ国が舞台になることはない。名前だけの登場である。
常暗彦(ウラル彦の落胤[7])が教主となってカルマタ国にウラル教を開き、勢力を拡大させていた[8]。バラモン教の大教主・大黒主は、カルマタ国のウラル教を成敗するため大足別将軍に軍勢を引率させ出陣させる。また三五教の神素盞嗚大神の拠点があるフサの国ウブスナ山の斎苑館には鬼春別将軍に出陣させた。
脚注
- ↑ 第40巻第16章「春駒」#:「何でも月の国のカルマタ国とか云つて、地教山の西南麓の可なり広い国の都へ神館が移つたさうで厶います」
- ↑ 第41巻第14章「慈訓」#:「カルマタ国は東北に地教山を控へ」
- ↑ 第41巻第7忍術使章#:「ウラル彦の落胤なる常暗彦を推戴し、デカタン高原の東北方にあたるカルマタ国に、ウラル教の本城を構へ」
- ↑ 第43巻第13章「軍談」#:「又もやデカタン高原の北方なるカルマタ国に」
- ↑ 第68巻第18章「救の網」#:「浅倉山脈の千尾千谷より流れ落つる玉野川の下流をインデス河と云ふ。此河はタラハン国の中心を流れ、北より南に遠くカルマタ国の牛の湖水に注いでゐる」
- ↑ 第40巻第1章「大雲山」#:「カルマタ国に割拠する 常暗彦は日に月に」
- ↑ 第41巻第7章「忍術使」#:「ウラル彦の落胤なる常暗彦を推戴し」
- ↑ 第40巻第1章「大雲山」#:「カルマタ国に割拠する 常暗彦は日に月に 猛虎の勢加はりつ 数多の軍勢を引率し 山野をわたりはるばると 月の都に攻めよせて 一挙に城を覆へし バラモン教を根底より 絶滅せむと計りゐる 其計画はありありと 手に取る如く見えにけり」、第40巻第16章「春駒」#:「何でも月の国のカルマタ国とか云つて(略)ウラル彦様の子孫たる常暗彦様が教主となつて、再び昔日の勢をもり返してゐられるといふ事で厶います」、第41巻第7章「忍術使」#:「然るにウラル彦、ウラル姫の初発に開きたる盤古神王を主斎神とするウラル教の教徒は、四方八方より何時となく集まり来りて、ウラル彦の落胤なる常暗彦を推戴し、デカタン高原の東北方にあたるカルマタ国に、ウラル教の本城を構へ、本家分家の説を主張し、ウラル教は常暗彦の父ウラル彦の最初に開き給ひし教であり、バラモン教は常世国に於て、第二回目に開かれし教なれば、教祖は同神である。只主斎神が違つてゐるのみだ。ウラル教は如何してもバラモン教を従へねば神慮に叶はない。先づバラモン教を帰順せしめ、一団となつて神力を四方に発揮し、次いで三五教を殲滅せむものと、ウラル教の幹部は息まきつつあつたのである」