コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
王仁DBで検索
Googleで検索
カテゴリから探す
最近作られたページ
最近の更新
おまかせ表示
編集者用
著作権について
Onipedia
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
大本のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
大本
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
この操作は、次のグループに属する利用者のみが実行できます:
登録利用者
。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
{{Kakikake}} [[ファイル:出口直2.jpg|thumb|100px|開祖・[[出口直]]。]] [[ファイル:出口王仁三郎0001.jpg||thumb|100px|教主輔・[[出口王仁三郎]]。]] '''大本'''(おおもと)は、[[出口直]]と[[出口王仁三郎]]を二大教主とする宗教。 →歴史は「[[大本の歴史]]」 == 基本情報 == * 旧仮名遣いでは「おほもと」。 * 開教日:明治25年(1892年)2月3日(旧正月5日)。[[出口直]]に[[艮の金神]]が神懸かり第一声を発したとされる日<ref>昔の文献だと開教日は2月8日(旧正月10日)としているものもある。【例】〈明治二十五年旧正月の十日〉〔『[[大本略史]]』(昭和6年)45頁〕</ref>。 * 教祖:[[出口直]](でぐち なお)と[[出口王仁三郎]](でぐち おにさぶろう)の二人いる。 ** [[出口直]]:[[福知山]]の桐村家に生まれ、[[綾部]]の出口家に嫁いだ。明治25年「[[艮の金神]]」が懸かり神示が降りるようになる。後に王仁三郎が合流する。出口直は大本の道を開いたという意味での教祖である。肩書きは「[[開祖]]」。 ** [[出口王仁三郎]]:[[穴太]](あなお。現・亀岡市内)の上田家で生まれる。明治31年、[[高熊山]]で霊的修業を行い自分の救世の使命に目覚めて独自に宗教活動を開始する。後に出口直と巡り会い大本に入って活動する。教団組織や教典、聖地、教義教理を整えたのは王仁三郎であり、そういう意味で実質的な教祖である。肩書きは「[[教主輔]]」。尊称として「[[聖師]]」と呼ばれる。 * 教典:「[[大本神諭]]」と「[[霊界物語]]」の二つある。 ** [[大本神諭]]:出口直に[[艮の金神]]が懸かり自動書記で書いた神示「[[筆先]]」(平仮名と漢数字だけで書かれた)を元に、王仁三郎が漢字を当てはめて公開したものを[[大本神諭]]と呼ぶ。世界の「[[立替立直し]]」を告げる予言と警告の神示。 ** [[霊界物語]]:王仁三郎が霊界で目撃した出来事を著わした書物。全81巻。[[神素盞嗚大神]]が導く「[[三五教]](あなないきょう)」の[[宣伝使]]たちが世界を旅して神の教えを宣り伝え、悪神たちを言向け和して改心させて行く物語。 * 聖地:綾部の聖地「[[梅松苑]](ばいしょうえん)」と、亀岡の聖地「[[天恩郷]](てんおんきょう)」の二つある。どちらも王仁三郎在世中から存在するが、[[第二次大本事件]]で当局によって粉々に破壊された。現在の両聖地は大戦後に再建されたものである。 ** [[梅松苑]]:大本の開教の地である綾部にある。王仁三郎が大本入りした後、出口直がかつて住んでいた家の跡([[元屋敷]])とその周辺の土地を買収して行き、「[[天国]]」を地上に写した神苑として整備した。「梅松苑」と命名されたのは昭和20年12月のことであり、それ以前は「綾部の大本」「綾部の神苑」等と呼ばれていた。祭典の中心地。 ** [[天恩郷]]:王仁三郎の出身地・亀岡にある<ref>厳密に言えば王仁三郎が生まれた時は「穴太村」で明治22年に「曽我部村穴太」になり昭和30年に「亀岡市曽我部町穴太」になったので、当時の感覚としては亀岡は王仁三郎の故郷とは言えない。亀岡は「故郷の穴太の隣町」のような感覚であろう。</ref>。明智光秀が築城した[[亀山城]]跡を買収し、「[[霊国]]」を地上に写した神苑として整備した。宣教の中心地。宗教法人事務所は天恩郷に置かれている。 * 歴代[[教主]]・[[教主補]] ** 開祖:[[出口直]]。1837~1918年(81歳)。 ** 教主輔:[[出口王仁三郎]]。1871~1948年(76歳)。王仁三郎は開祖と二代・三代教主の三人の「輔佐」をするという特別な役割で、王仁三郎だけは「補」(おぎなう)ではなく「輔」(たすける)という文字が使われる。 ** 二代教主:[[出口澄子]](すみこ)1883~1952年(69歳)。出口直の末子、王仁三郎の妻。 ** 三代教主:[[出口直日]](なおひ)1902~1990年(88歳)。王仁三郎・澄子の長女。 ** 三代教主補:[[出口日出麿]](ひでまる)1897~1991年(96歳)。岡山県倉敷で生まれる。旧名・高見元男。大正8年(1919年)大本入信。昭和3年(1928年)2月に直日と結婚。 ** 四代教主:[[出口聖子]](きよこ)1935~2001年(66歳)。直日の三女。 ** 五代教主:[[出口紅]](くれない)1956年~。直日の次女・麻子の娘だが聖子の養女となる。 * 内紛([[第三次大本事件]])によって大本教団から追放された信徒らによって擁立された他の教主もいる。→「[[大本信徒連合会]]」 ** 四代教主:[[出口直美]](なおみ)1929~2020年(91歳)。直日の長女。夫は[[出口栄二]]。 ** 五代教主:[[出口直子]](なおこ)1947年~。直美の長女。夫は[[出口信一]]。 * 戦前の大本は非公認宗教<ref>王仁三郎は大本を[[公認宗教]]にする運動は秘かに行っていた。『[[大本史料集成]]3』497頁下段:第二次大本事件裁判における出口伊佐男の供述〈昭和三年一月頃であつたと思ふて居りますが、父は[[平渡信]]を通して大本を公認宗教にする事の運動を起して居つた事を聞いて居りました〉</ref>で法人格は無かったが、戦後は宗教法人として活動している。→「[[宗教法人大本]]」 === 信者数 === 以下に記す「信者(信徒)」の定義はいろいろであり、一定ではない。 * 大正初年の信者数は千人に満たなかった。<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c3111|事件のあらまし}}」:「大正初年における大本の信者数は干人にみたない綾部の一地方教団にすぎなかった」</ref> <ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2332|内地宣教の展開}}」:〈大本の信者数は、一九二〇(大正九)年初期のころは「信徒十万」といわれていたが、じっさいには、それよりも下廻っていた。しかし大本をある程度理解していた人々は予想以上に多数あり、したがって、これらの理解者が背景となった大本の教勢は、意外に大きく評価されたのである。〉</ref> * 当局側の資料によると、大正10年(1921年)2月、[[第一次大本事件]]当時の信者数は、1万人前後である。<ref>[[杭迫軍二]](第二次事件当時の京都府警察部特高課長)著『[[白日の下に]]』185頁〈第一次事件の現場責任者であった[[高芝羆]]氏の直話では、当時の実勢を一万前後と算している。〉、{{ndldl|12282488/1/96}}</ref> * 昭和10年(1935年)12月、[[第二次大本事件]]当時の信者数は1万7168人。この場合の信者とは〈大神奉斎と祖霊の復祭をし、そのうえ教団護持の更始会費を納入していた信者〉のこと。<ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c6331|信仰の護持}}」548頁:〈大本の場合その信者数は、事件前においてはおよそ二〇万とか三〇万といわれていた。しかし当時の記録によれば、大神奉斎と祖霊の復祭をし、そのうえ教団護持の更始会費を納入していた信者は一万七一六八人にすぎない。これを世帯単位に換算するとさらに少ない数となるのである〉</ref> * 当局側の資料によると、第二次事件当時の信者数は約40万人である。<ref>杭迫軍二『白日の下に』269頁〈当時いろいろな数字から推算したところでは、信徒と目せられるもの約四十万とするのがほぼ一致した概数であった。〉、{{ndldl|12282488/1/130}}</ref> * 昭和30年(1955年)版宗教年鑑によると、信者数は74,913人、教師数は3,817人である。<ref>{{ndldl|2991832/1/55}}</ref> <ref name="syukyonenkan">宗教年鑑における信者の定義はそれぞれの宗教法人によって異なる。同一の法人でも年によって定義が変化する場合がある。活動をしていない名簿上だけの"幽霊信者"がかなりいるため実数の数倍の人数になっているケースが多いようである。大本の場合「教師」とは宣伝使の人数か?</ref> * 令和4年(2022年)度版宗教年鑑によると、信者数は165,338人、教師数は4,089人である。<ref>令和4年度版59頁 「[https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/shukyo_nenkan/index.html 宗教年鑑]」(文化庁)</ref> <ref name="syukyonenkan" /> 大本の信者数はあまり多くなかったが、シンパが多かった。[[昭和神聖会]]運動では1年で800万人もの賛同者を集めた。 == 歴史 == →詳細は「[[大本の歴史]]」 * 明治25年(1892年)2月3日(旧1月5日):綾部で[[出口直]]に艮の金神([[国常立尊]])が神懸かり大本開教。 * 明治31年(1898年)3月1日(旧2月9日):穴太(現・亀岡市曽我部町穴太)で[[上田喜三郎]]が[[高熊山修業]] * 明治32年(1899年):喜三郎は綾部に移住して大本での活動を開始。 * 明治33年(1900年):喜三郎と[[澄子]](直の第五女)結婚。喜三郎は後に出口王仁三郎に名を改める。 * 大正7年(1918年):出口直、昇天。(81歳) * 大正10年(1921年)2月12日:[[第一次大本事件]] * 昭和10年(1935年)12月8日:[[第二次大本事件]] * 昭和23年(1948年)1月19日:出口王仁三郎昇天。(76歳) == 教団名の変遷 == 大本は開教時から教団組織があったわけではない。初めて組織が作られたのは、王仁三郎が綾部に来てからである。艮の金神の「金」と、日の大神・月の大神の「日」「月」を合わせて「[[金明会]]」と命名された<ref>『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c1521|金明会の発足}}」</ref>。 以後、次のように教団名が変遷する。<ref>「[[大本年表]]」による。</ref> * 明治32年(1899年)7月10日(旧6月3日):「[[金明会]]」を設立。 * 同年8月1日(旧6月25日):「[[金明会]]」と「[[霊学会]]」(園部で31年5月に設立)と合体させて「[[金明霊学会]]」に改称。<ref>金明霊学会の設立時期については諸説ある。「[[大本年表]]」144頁参照。『[[大本資料集成]] 3』裁判資料「{{obc|B195503c2201|予審終結決定}}」では明治33年2月頃になっている。</ref> * 明治41年(1908年)8月1日(旧7月5日):「[[大日本修斎会]]」に改称。 * 大正2年(1913年)7月12日(旧6月9日):「[[大本教]](たいほんきょう)」と称する。正式に「大本」という言葉が使われたのはこれが初めて(ただしその後も大日本修斎会という名称も併用されている)<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c2121|大本教の教規と信条}}」</ref>。 * 大正5年(1916年)4月22日(旧3月20日):大本教を「[[皇道大本]](こうどうおおもと)」に改称。 * 大正10年(1921年)10月14日(旧9月14日):皇道大本を「大本」に改称。(王仁三郎と二代教主が隠退し直日が三代教主に就任) * 大正11年(1922年)2月4日(旧正月8日、節分):大日本修斎会は「[[大本瑞祥会]]」に改称。 * 昭和8年(1933年)1月26日(旧元日):大本を「[[皇道大本]]」に再び改称。大本瑞祥会は解散。 * 昭和21年(1946年)2月7日(旧正月6日):弾圧によって組織が解体された大本は「[[愛善苑 (1946)|愛善苑]]」という名称で新発足。 * 昭和24年(1949年)10月29日(旧9月8日):「[[大本愛善苑]]」に改称。 * 昭和27年(1952年)4月1日(旧3月7日):「大本」に改称。(前日に二代教主が昇天し三代教主が就任) 宗教名としても開教当初から「大本」と名乗っていたわけではないようである。(要調査→「[[トーク:大本]]」) == 施設 == [[:カテゴリ:大本の施設]] <書きかけ> * [[梅松苑]]:綾部の聖地。 * [[奥都城]]:綾部にある歴代教主の墓。 * [[厳の郷]]:福知山にある出口直の生家跡。 * [[天恩郷]]:亀岡の聖地。 * [[瑞泉苑]]:穴太にある出口王仁三郎の生家跡。 * [[東光苑]]:大本東京本部。 === 昔の施設 === <書きかけ> * [[別院・分院・分社の一覧]] == 教え == * 神:[[大本皇大神]]([[大天主太神]])、[[艮の金神]]([[国祖]]・[[国常立尊]])、[[坤の金神]]([[豊雲野尊]])、[[神素盞嗚大神]] * [[大本の神話]] * [[大本教旨]] * [[三大学則]] * [[四大主義]] * [[四大綱領]] * [[霊魂]]([[一霊四魂]]) * [[霊界]] * [[予言]] * [[言霊]] * [[型の大本]]([[雛型]]) === 用語 === * [[立替立直し]]、[[大峠]]、[[天の岩戸開き]] * [[五六七の世]]([[松の世]])、[[五六七神政]] * [[厳の身魂・瑞の身魂]]([[厳霊・瑞霊]])、[[伊都能売の身魂]] * [[人類愛善]] * [[神業]]、[[御用]] * [[皇道]]、[[皇道維新]](大正維新)、[[皇道経済]] * [[鎮魂帰神]]、[[幽斎]] * [[宣伝使]] * [[数運]] == 祭典 == * [[節分大祭]]:毎年節分の夜に[[梅松苑]]で執行される。隠退していた国祖が出口直に神懸かり再び世に出たことを祝する祭典。[[大祓神事]]が夜通し行われる。 * [[みろく大祭]]:毎年5月5日に[[梅松苑]]で執行される。昭和3年3月3日の王仁三郎の[[みろく下生]]を記念する祭典。併せて[[春季祖霊大祭]]も行われる。 * [[瑞生大祭]]:毎年8月7日に[[天恩郷]]で執行される。王仁三郎の生誕(明治4年旧7月12日)記念であり、また第二次大本事件で収監され保釈出所した日(昭和17年8月7日)を記念する祭典。前夜には「[[大本歌祭]]」が行われる。 * [[大本開祖大祭]]:毎年11月の第1日曜日に[[梅松苑]]で執行される。もともとは開祖昇天(大正7年11月6日)を記念する祭典。併せて[[秋季祖霊大祭]]も行われる。 * [[月次祭]] * [[霊祭]] === 昔の祭典 === <書きかけ> == 地方機関 == 地方機関とは地方組織のこと。 === 昔の地方機関 === <書きかけ> === 現在の地方機関 === * [https://oomoto.or.jp/wp/nationwide_bases/ 全国の拠点](大本公式サイト内) == 関連団体 == * [[天声社]]:大本の出版部門。https://tenseisha.co.jp/ (公式サイト) * [[人類愛善会]]:社会活動を行う団体。https://jinruiaizenkai.jp/ (公式サイト) * [[愛善みずほ会]]:農業の研究・指導や自然食品の小売などを行う団体。https://aizen-mizuho.or.jp/ (公式サイト) == 出版物 == →[[戦前の大本の出版物]] →現在の大本の出版物は「[https://tenseisha.co.jp/publics/index/20/ 書籍案内] - 天声社」 == 関連項目 == * [[大本事件]]:王仁三郎在世中に起きた国家権力による二度の弾圧事件。及び昇天後に起きた内紛。 * [[大本信徒連合会]]:内紛([[第三次大本事件]])によって追放された信徒有志が結成した団体で、自分たちはあくまでも大本の信徒であると主張する。[[出口直美]]を四代教主、[[出口直子]]を五代教主として仰ぐ。第三次大本事件は継続中であるという世界観を持つ。https://www.omt.gr.jp/ (公式サイト) * [[宗教法人愛善苑]]:内紛([[第三次大本事件]])によって追放された信徒有志が設立した団体で、大本から派生した新しい宗教団体。[[出口王仁三郎]]を「永遠の苑主」と仰ぎ、宗教的権威を持つ苑主(教主)を置かない。[[霊界物語]]のみを教典とする。第三次大本事件は愛善苑の誕生によって事実上終了したという世界観を持つ。http://www.aizenen.info/ (公式サイト) * [[:カテゴリ:機関紙誌]]:大本の機関紙誌の一覧。 == 外部リンク == * https://www.oomoto.or.jp/ (大本の公式サイト) * 大本公式サイト内にある[https://oomoto.or.jp/wp/kanren_site/ 「関連サイト」のページ](地方機関等) * https://www.youtube.com/@oomotoweb (ユーチューブの大本公式チャンネル) * {{kb|大本}} * {{wp|大本}} == 脚注 == <references/> {{デフォルトソート:おおもと}} [[Category:宗教|*]] [[Category:大本|*]]
このページで参照読み込みされているページ:
テンプレート:Kakikake
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Kb
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Ndldl
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Obc
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Obc000
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Wp
(
ソースを閲覧
)
大本
に戻る。
検索
検索
大本のソースを表示
話題を追加