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神聖神社
,→概要
* 神聖神社の御神体は[[大宮守子]]([[鶴殿親子]]の大本名)が大正10年(1921年)に献上した玉・鏡・剣である(大宮守子も鎮座祭に列席している)。この神聖神社を中枢として昭和神聖会運動は全国に展開された。<ref>『[[新月の光]]』0198「昭和神聖会と神聖神社」</ref>
** 玉・鏡・剣という"三種の神器"を御神体としたことが、[[第二次大本事件]]の裁判で追及されている。
** [[出口和明]]は、神聖神社の三種の神器の剣は、[[熾仁親王]]が[[上田世祢]]に与えた守り刀に違いないと語っている。両刃で刃渡り15.1センチ、目くぎの脇に直径1センチの十六菊紋が刻まれていた。<ref>『[[誰も知らなかった日本史]]』67頁</ref>
* 祭典の前までは晴天だったが、祭典中に突然、大吹雪に見舞われた。王仁三郎は祭典後の挨拶の中で〈四十年来、旅行、或は祭典に臨席の日など絶対に雨、風、雪といふものがなかつたのであるが、今日の大吹雪は、神聖運動に従事する者にとつて一つの暗示と警戒とである、故に会員たるものは一段の自重と覚悟とが必要である〉<ref name="shinnyo_s100225" />と述べている。
* 神聖神社鎮座祭の前後は様々な祭典・行事が続いていた。鎮座祭3日前の2月4日は旧元日で、綾部で[[節分大祭]]が開かれた(この年は2月4日が節分だった)。6日には[[東光苑]](天恩郷内)で[[昭和青年会]]・[[昭和坤生会]]の総隊訓練が大吹雪の中で行われた。7日は午前11時から神聖神社鎮座祭が行われ、午後3時からは、昭和神聖会統管部となる[[透明殿]](天恩郷内)の完成祭が行われた。