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'''出口王仁三郎の歌碑'''(でぐちおにさぶろうのかひ)とは、[[出口王仁三郎]]の和歌を刻んだ石碑のことである。
== 歌碑建立の意義 ==
[[木庭次守]]は王仁三郎が歌碑を日本全国に建立した意義について次のように述べている。要約すると、日本列島を大三災から救うために、[[蟇目の法]]によって霊国(亀岡)天国(綾部)の霊場に、日本各地の霊場を結び合わせた、そのマツリゴトの大神業のしるしとして歌碑を建立したということになる。
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出口聖師が宇宙の主神から重大なる神業をゆだねられた中の霊的神業として、日本列島を大三災から救うために、ヒキメの神法によって、鶴山にたつ天の御柱の霊の太柱と亀山にそそりたつ国の御柱の霊の太柱にマツリ合わせて、国土を永遠に安泰にたもつために、日本列島を幾度も巡笏された。
日本の国土中で最も神聖な霊の御柱のたつ霊国、天国の霊場に日本列島の各地の霊場とをむすび合わせられたのである。
この神の国日本列島の国土のマツリゴトの大神業のしるしとして打ち建てられたのが、出口聖師の歌碑の建設である。
聖師自作自演の映画「[[七福神]]」の中で、
吾こそは言霊清き蛭子なり 国のあちこち歌碑《うたぶみ》建つるも
と詠歌されたように、重大な意義を持っているのである。歌詞は神業の意義がひめられている。
よろづ代の道の礎固めむと われ国々に歌碑を建つるも
末代の記念と建てし吾が歌碑の おもてに冴ゆる三五の月かげ
五十あまり大石に歌を誌しつつ 永久の生命を吾れ保つなり
千引岩に思ひのたけの歌を彫りて 千代万代の生命とやせむ
聖師の歌碑は、神業の発動の内容と、惟神大本の大道の弥栄をたたえられたものであるから、歌碑を御神体として発揮される、瑞霊大神の神徳と神教の発展は、全く同じ道を進むものということができる。| 木庭次守「出口王仁三郎聖師歌碑集録」〔[[#参考文献]]〕}}
== 王仁三郎の在世中に建立された歌碑 ==