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比沼麻奈為神社
,→元の鎮座地は本宮山
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『[[大本教開祖御伝記]]』には──出口家の遠祖は丹波道主命([[開化天皇]]の孫)であり、四道将軍の一人として丹波に派遣され、何鹿に住み着いた。その子孫の綾津彦命が綾部に住み、豊受大神を祭った。それが後に久次に遷って比沼麻奈為神社となり、さらに伊勢に遷った。綾部の出口家が本家で、伊勢外宮の社家の出口家(渡会家)は分家である──と記されている。
{{inyou| 出口家の遠祖は丹波道主命《たんばみちぬしのみこと》に出づ。命は開化天皇の妃 田庭竹野姫《たにはたけのひめ》の子 彦由牟須美命《ひこゆむすみのみこと》の裔なり。道主命は崇神天皇の十年癸巳《きし》教化の将軍を四道に派遣して四民を教化せしめんと即ち命が祖先の出産地たる縁故を以て、天皇の特旨に依り丹波に派遣されたるが、命の教化の力能く功を奏し、終に丹波の何鹿の里に居を構へ威望四隣を圧したりしが、命の後裔なる綾津彦命《あやつひこのみこと》は綾部の郷 神戸《かんべ》の地を卜して永住し、豊受大神を奉祀し居たりしに後《のち》神勅に依りて丹波郡丹波村比沼真奈井が岳の麓なる現今中郡五箇村字久次の神境に移し祭り子孫相継ぎ奉仕せしが、雄略天皇の二十二年戊午《ぼご》天照大御神、天皇の御夢に現はれ給ひて、豊受大神を神が兄《せ》の伊勢の国山田が原に遷し祀るべく詔らせ給ひしより、天皇は神勅を奉じ、直ちに豊受大神を山田原に迎へ玉ひしが、其時神霊に奉侍して移り住みしは出口家の分家なり。今に山田に出口家の子孫現存す。又本家たりし出口氏は現今綾部の地に子孫繁栄して、同姓を名告る者殊に多し。斯る深き神縁によりて神道界の英傑開祖直霊女史の現出せしも亦不思議と謂ふベし。只惜むらくは中世祝融子の見舞ふ処となり、詳細なる記録系図等の煙滅せし事なり。|[[百済博士]](出口王仁三郎)著『[[大本教開祖御伝記]]』16頁}}
「[[故郷乃弐拾八年]]」には、本宮山から久次へ、そして伊勢へと遷座して行ったのではなく、<u>本宮山から直接伊勢へ遷座した</u>と記されている。(次の<u>下線部</u>)