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大正日日新聞社
,→概要
[[ファイル:大阪梅田地図(大正8年).jpg|thumb|大正8年(1919年)頃の梅田周辺の地図。中心の「北野角田町333ノ二」に大正日日新聞社があった]]
[[ファイル:大正日日新聞社のマーク.jpg|thumb|大正日日新聞社のマーク。]]
[[ファイル:大正日日新聞の題字.jpg|thumb|大正日日新聞の題字。]]
* 表記ゆれ:大正日々新聞社
* 社屋は二階建ての洋館である。当時の住所は「大阪市北野角田町333番地ノ2」<ref>[https://dl.ndl.go.jp/pid/2954276/1/10 官報 大正8年(1919年)10月20日 p.18 第2~3段] 株式会社大正日日新聞社の商業登記変更(支店設立)の公告に住所記載あり。</ref> <ref>「北野角田町」は大正13年(1924年)6月1日付で「北区角田町」に表示変更になる。『大本大阪本苑八十年誌』p49</ref>で、現在は阪急うめだ本店(大阪梅田ツインタワーズ・ノース)と阪急グランドビルが建っている一角に社屋があったと推測される(地図参照)。(道の向かい側の「HEP NAVIO」(旧・ナビオ阪急)が建っている三角地帯に社屋があったと推測する人もいる<ref>『[[大本大阪本苑八十年誌]]』p.49:「大正日日新聞社の当時の住居表示番号より推して現阪急ナビオビル一帯に洋風館の二階建の広大な社屋があったものとみられる」</ref>)