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天恩郷
,→造営
大正9年(1920年)8月に大道場としてバラック建ての建物が一棟建てられ、翌10年7月10日は王仁三郎の居室兼事務所として「[[瑞祥閣]]」が建てられた。しかし第一次大本事件(大正10年2月)によってその他の建設工事は中断した。<ref name="B195401c4444">『大本七十年史 上巻』「{{obc|B195401c4444|国内宣教と造営}}」</ref>
大正14年(1925年)の[[節分大祭]]を期に、本格的に神苑整備が始まった。それまで「[[万寿苑]]」と呼ばれていたが、「天恩郷」と命名された。また、天恩郷の」と呼ばれていたが、同年2月24日「天恩郷」と命名された。また、天恩郷の[[月照山]]より北側の部分を「万寿苑」、南側を「[[千秋苑]]」と呼ぶことになった。<ref name="B195401c4444" /> <ref>{{kgm|185|天恩郷の命名}}:「天恩郷を南北に別けて、月照山の以北を万寿苑と名づけ、以南を千秋苑と命名した」</ref>
まず第一着手として、[[瑞祥閣]]の前に「[[月の輪台]]」(大正14年3月完成)が造られ、続いて「[[光照殿]]」(大正14年10月完成)が建てられ[[人類愛善会]]総本部と[[世界宗教連合会]]東洋本部が置かれた。それまではランプが使われていたが、同年5月23日に天恩郷に電灯が点けられた。(綾部は9月24日に電灯が点く)<ref name="B195401c4444" />