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ページの作成:「{{Otheruses|比沼の真名井の宝座に仕えていた清子姫|その他の清子姫|清子姫 (曖昧さ回避)}} {{Otheruses|比沼の真名井の宝座に仕えて…」
{{Otheruses|比沼の真名井の宝座に仕えていた清子姫|その他の清子姫|清子姫 (曖昧さ回避)}}
{{Otheruses|比沼の真名井の宝座に仕えていた照子姫|その他の照子姫|照子姫 (曖昧さ回避)}}
'''清子姫'''(きよこひめ)と'''照子姫'''(てるこひめ)は、[[霊界物語]]に登場する人物。最初は[[比沼の真名井]]の宝座に仕え、[[黒姫]]の部下として登場するが、後に[[琉球]]、そして[[高砂島]]へ渡る。
== 概要 ==
* 表記ゆれ:第17巻では「姫」が付かず単に「清子」「照子」と呼ばれている。
* 初出:{{rm|17|9|大逆転}}
* [[第17巻]]・[[第27巻]]・[[第33巻]]に登場する。さらに清子姫だけは[[第69巻]]にも登場する。
* 二人の名前が併記される場合の順序は、清子姫が先の場合も照子姫が先の場合もあり、決まっていない。しかし清子姫が先に書かれる場合が若干多い。(年齢も清子姫が年長なので、本項の項目名は清子姫を先にする)
<ref>{{rm|17|9|大逆転}}:「花を欺く妙齢の照子、清子の二人と共に」、
{{rm|17|10|四百種病}}:「黒姫は清子、照子の二人に向ひ」、
{{rm|27|14|草枕}}:「心の色の照子姫 身魂もすぐれて清子姫」「今見る如き照子姫 神の宝座も清子姫」、
{{rm|27|15|情意投合}}:「清子姫、照子姫の二人であつた」「照子姫、清子姫の遭難を救ひたるは」「此照子姫、清子姫は其祖先は行成彦命であつて」「清子姫、照子姫は魔窟ケ原の黒姫が館には」「清子姫は二十五才、照子姫は二十三才になつて居た」「清子姫、照子姫両人は行儀よく両手をつき」「清子姫、照子姫の両人で御座います」「清子姫さま、照子姫さま、お前さまは」「清子姫、照子姫一時に」「なる事ならば、照子姫さま、清子姫さま、あなた丈は」、
{{rm|27|16|琉球の神}}:「清彦、照彦、清子姫、照子姫は両手をつき」「照彦に清彦、照子姫に清子姫、これ又一つの不思議」「又清子姫、照子姫は言依別の後を追ひ」、
{{rm|27|17|沼の女神}}:「照子姫、清子姫は言依別の後を慕うて立去つた後の清彦、照彦は」「清子姫照子姫の二人、沼の対岸に現はれ」「清子姫、照子姫と寸分違はぬ美人が」(これ以降は琉球沼の、清子姫・照子姫になる)</ref>
* 二人は姉妹<ref>{{rm|33|14|魂の洗濯}}:「私は永らく比沼の真名井の宝座に仕へて居ました清子姫で御座います。一人は私の'''妹'''で照子と申します」</ref>で、清子姫は25歳、照子姫は23歳である<ref>{{rm|27|15|情意投合}}:「清彦は四十四五才、照彦は四十二三才の元気盛り、清子姫は二十五才、照子姫は二十三才になつて居た。年齢に於て二十年許り違つて居る」</ref>。二人は行成彦(第四代天使長・広宗彦の弟)の「四代目の孫」<ref>{{rm|27|15|情意投合}}:「此照子姫、清子姫は其祖先は行成彦命であつて、四代目の孫に当つて居る」</ref>(玄孫=四代後の子孫の意味だと思われる<ref>{{rm|27|17|沼の女神}}の清子姫(琉球沼の清子姫)の歌の中で「妾は(略)広宗彦が四代の孫(略)汝が父の常楠は 国彦、国姫が三代目の曾孫」と歌われており、「三代目」を「曾孫」(三代後の子孫)と呼んでいる。</ref>)である。
* {{rm|27|17|沼の女神}}に、清子姫・照子姫と容姿がそっくりで、名前も同じ清子姫・照子姫(第四代天使長・[[広宗彦]]の「四代の孫」)が登場する。 →「[[清子姫・照子姫 (琉球沼)]]」
* 清子姫・照子姫は[[琉球]]へ渡る途中で、[[清彦・照彦]](旧名は虻公・蜂公)と恋仲になるが、結ばれず、[[高砂島]]に渡り、清子姫は[[ヒルの国]]の[[楓別命]]と結婚し、照子姫は[[高照山]]の([[バラモン教]]の教主)[[石熊]]と結婚する<ref>{{rm|33|15|婆論議}}:「清子姫は日の出神の命に依りて、ヒルの都の楓別命の妻となり(略)照子姫は国依別命の媒酌に依つて、バラモン教の教主たりし石熊の妻となり、高照山の館に於て三五教を開く事となつた」</ref>。[[清彦・照彦]]は琉球沼で出会った[[清子姫・照子姫 (琉球沼)|清子姫・照子姫]]と結婚する。
== エピソード ==
=== 第17巻 ===
清子姫・照子姫は神勅を受け、[[比治山]]に草庵を結び、[[比沼の真名井]]に[[豊国姫]]が出現するのを待っていた。そこで[[ウラナイ教]]の[[黒姫]]と出会い、ウラナイ教の教えを説き聞かされて、半信半疑となって黒姫に従った。<ref>このエピソードはあらすじのように記されているだけで、ドラマが描かれているわけではない。{{rm|27|15|情意投合}}:「神勅を受けて、比沼真奈井に豊国姫出現に先立つて現はれ、比治山に草庵を結び、時を待つて居たのである。そこへウラナイ教の黒姫に出会し、いろいろとウラナイ教の教理を説き聞かされ、半之れを信じ、半之を疑ひ、何程黒姫が弁舌を以て説きつくる共、清子姫、照子姫は魔窟ケ原の黒姫が館には一回も足をむけず、又高姫などにも会はなかつた。只黒姫の言葉を反駁もせず、善悪を取捨して表面服従して居たのみであつた。此二女の黒姫に対する態度は、其時の勢上已むを得ず、之れ以上最善の態度を執ることが出来なかつたのである」</ref>
{{rm|17|9|大逆転}}で、二人は黒姫の従者として、[[真名井ケ原]]に参詣に向かう[[お楢]]<ref>[[平助]]が帰幽した後のエピソード。</ref>と出会っている。{{rms|17|10|四百種病}}では黒姫と共に[[丹波村]]のお楢の家に行き、二人がウラナイ教の宣伝歌を歌うと、病床の[[お節]](後の[[玉能姫]])はますます悶え苦しんだ。
=== 第27巻 ===
[[豊国姫命]]の神勅が二人に降り──[[竜宮島]]から[[梅子姫]]一行が五個の[[麻邇宝珠]]を持ち帰り、[[由良の港]]の[[秋山彦]]の館に着いて、[[神素盞嗚大神]]と[[国武彦命]]がお出でになった──と聞いて、二人は秋山彦の館へ向かったが、麻邇宝珠はすでに[[綾の聖地]]へ送られた後だった。二人は綾の聖地に向かう。そこで[[言依別命]]から──これから琉球に渡れ──との神勅を受ける。二人は[[高熊山]]の岩窟で21日間、[[木花姫命]]から教えを受けた後、[[生田の森]]を経て、[[兵庫の港]]で新しい船を買い、[[瀬戸の海]]に出た。ところが[[児島半島]]のそばで暗礁に乗り上げ、困っているところを、[[清彦・照彦]]が乗った船に救い上げられ、4人で琉球へ向かう。<ref>このエピソードはあらすじのように記されているだけで、ドラマが描かれているわけではない。{{rm|27|14|草枕}}:この章は全部が清子姫・照子姫の事跡を歌う歌が記されている。{{rm|27|15|情意投合}}:「時に豊国姫命の神勅、此二人に降り、諏訪の湖の玉依姫より麻邇宝珠を受取り、梅子姫其他一行が、由良の港の秋山彦が館に帰り来り、神素盞嗚大神、国武彦命の出でますと聞きて、二人は旅装を整へ、由良の港の秋山彦の館に出で来りし頃は、最早麻邇宝珠は聖地に送られ、神素盞嗚大神、国武彦命の御行方も分らなくなつた後の祭りであつたから、二人は時を移さず、陸路聖地に向ひ、錦の宮の玉照彦、玉照姫の神司に謁し、琉球の島に渡るべく、再び聖地を立ちて、玉照彦命の出現地なる高熊山に立籠もり、三週間の改めて修業をなし、木花姫の神教を蒙りて、意気揚々と山坂を越え、生田の森に立寄り、それより兵庫の港を船出して、琉球に向はんとし、神の仕組か、思はずも児島半島の手前に於て暗礁に乗りあげ、危険極まる所へ、三五教の新宣伝使、清彦、照彦の舟に助けられ、漸く那覇港に四人連れ安着し」</ref>
[[清彦・照彦]]は、[[言依別命]]・[[国依別]]の後を[[高姫]]が追跡していると知り、高姫が言依別命らに危害を加えるかも知れないと思い、その後を追っていた。4人は船中で過ごすうちに互いに恋愛感情が芽生える。しかし、清子姫は清彦を、清彦は照子姫を、照子姫は照彦を、照彦は清子姫を好きなるという複雑な恋愛関係だった。那覇港に上陸して、[[槻の洞穴]]で[[高姫]]一行と出会い、その後、[[言依別命]]一行と出会う。言依別命は清彦・照彦に、琉球の守護を命じた。言依別命・国依別は船で高砂島に向かい、清子姫・照子姫はその後を追って船で高砂島へ向かった。 →詳細は「[[清彦・照彦#第27巻]]」を見よ 〔{{rm|27|15|情意投合}}~{{rms|27|16|琉球の神}}〕
=== 第33巻 ===
清子姫・照子姫は、[[言依別命]]から[[常世の国]]を宣伝せよと命じられ、常世の国を一巡してから、神界の都合により、[[テルの国]]の「[[乾の滝]]」の滝壺に繋がった池([[玉の池]])にある岩島に行き、身魂を清めて[[高姫]]一行が訪れるのを待っていた。<ref name="rm3314">{{rm|33|14|魂の洗濯}}:「言依別の神様より、常世の国の宣伝を仰せ付けられましたので、一巡常世の国を渡り、神界の都合に依つて、一ケ月程以前に此処に参り、身魂を清め、貴方方のここをお通り遊ばすことを知つて、お待受けして居りました」</ref>
清子姫・照子姫は、[[言依別命]]の命により、[[ヒルの国]]、[[カルの国]]、[[間の国]]を経て、[[常世の国]]へ渡り、[[三五教]]を宣伝した。清子姫は[[日の出神]]の命によって、[[ヒルの国]]の[[楓別命]]の妻となる。その後ヒルの国を発ち、妹・照子姫と共に「[[乾の滝]]」へ行き、「[[玉の池]]」の中心にある岩石の上に小さい家を建てて、百日間の修行をしていたのだった。<ref name="rm3315">{{rm|33|15|婆論議}}:「因に清子姫は妹照子姫と共に言依別命の命に依り、三倉山の谷川に進み、国魂神の竜世姫命の宮に詣で、数多の国人を教へ導き、それよりヒル、カル、間の国を経て、常世の国に渡り、ロツキー山に進み、鬼城山に到り、鬼武彦以下の白狐神に守られ、三五の道を宣伝し、清子姫は日の出神の命に依りて、ヒルの都の楓別命の妻となり、ヒルの館を立出で、妹照子姫と共に此瀑布に立向ひ、山中の玉の池の中心に屹立せる岩石の上に小さき亭を建て、百日百夜の修行をせむとしてゐたのであつた。又照子姫は国依別命の媒酌に依つて、バラモン教の教主たりし石熊の妻となり、高照山の館に於て三五教を開く事となつた。さうして石熊は国依別命より、光国別と云ふ神名を頂き、夫婦相和して大蛇退治の大神業に奉仕する事となつた」</ref>
それから一ヶ月後、高姫一行6人([[高姫]]、[[鷹依姫]]、[[竜国別]]、[[常彦]]、[[テーリスタン]]、[[カーリンス]])がやって来た。<ref name="rm3314" />
照子姫は[[国依別]]の媒酌で、[[高照山]]の([[バラモン教]]の教主)[[石熊]]の妻となり、高照山の館で[[三五教]]を開いた。<ref name="rm3315" />
〔以上、{{rm|33|14|魂の洗濯}}~{{rms|33|15|婆論議}}〕
=== 第69巻 ===
[[楓別命]]と清子姫の間に、[[国愛別]]と[[清香姫]]という一男一女が生まれた。〔{{rm|69|17|琴玉}}〕
[[第69巻]]はこの[[国愛別]]・[[清香姫]]、それに[[国照別]]・[[春乃姫]]([[国依別]]と[[末子姫]]の子)の4人が主要人物となる。
== 脚注 ==
<references/>
{{デフォルトソート:きよこひめてるこひめひぬのまない}}
[[Category:霊界物語の人物 (組)]]
{{Otheruses|比沼の真名井の宝座に仕えていた照子姫|その他の照子姫|照子姫 (曖昧さ回避)}}
'''清子姫'''(きよこひめ)と'''照子姫'''(てるこひめ)は、[[霊界物語]]に登場する人物。最初は[[比沼の真名井]]の宝座に仕え、[[黒姫]]の部下として登場するが、後に[[琉球]]、そして[[高砂島]]へ渡る。
== 概要 ==
* 表記ゆれ:第17巻では「姫」が付かず単に「清子」「照子」と呼ばれている。
* 初出:{{rm|17|9|大逆転}}
* [[第17巻]]・[[第27巻]]・[[第33巻]]に登場する。さらに清子姫だけは[[第69巻]]にも登場する。
* 二人の名前が併記される場合の順序は、清子姫が先の場合も照子姫が先の場合もあり、決まっていない。しかし清子姫が先に書かれる場合が若干多い。(年齢も清子姫が年長なので、本項の項目名は清子姫を先にする)
<ref>{{rm|17|9|大逆転}}:「花を欺く妙齢の照子、清子の二人と共に」、
{{rm|17|10|四百種病}}:「黒姫は清子、照子の二人に向ひ」、
{{rm|27|14|草枕}}:「心の色の照子姫 身魂もすぐれて清子姫」「今見る如き照子姫 神の宝座も清子姫」、
{{rm|27|15|情意投合}}:「清子姫、照子姫の二人であつた」「照子姫、清子姫の遭難を救ひたるは」「此照子姫、清子姫は其祖先は行成彦命であつて」「清子姫、照子姫は魔窟ケ原の黒姫が館には」「清子姫は二十五才、照子姫は二十三才になつて居た」「清子姫、照子姫両人は行儀よく両手をつき」「清子姫、照子姫の両人で御座います」「清子姫さま、照子姫さま、お前さまは」「清子姫、照子姫一時に」「なる事ならば、照子姫さま、清子姫さま、あなた丈は」、
{{rm|27|16|琉球の神}}:「清彦、照彦、清子姫、照子姫は両手をつき」「照彦に清彦、照子姫に清子姫、これ又一つの不思議」「又清子姫、照子姫は言依別の後を追ひ」、
{{rm|27|17|沼の女神}}:「照子姫、清子姫は言依別の後を慕うて立去つた後の清彦、照彦は」「清子姫照子姫の二人、沼の対岸に現はれ」「清子姫、照子姫と寸分違はぬ美人が」(これ以降は琉球沼の、清子姫・照子姫になる)</ref>
* 二人は姉妹<ref>{{rm|33|14|魂の洗濯}}:「私は永らく比沼の真名井の宝座に仕へて居ました清子姫で御座います。一人は私の'''妹'''で照子と申します」</ref>で、清子姫は25歳、照子姫は23歳である<ref>{{rm|27|15|情意投合}}:「清彦は四十四五才、照彦は四十二三才の元気盛り、清子姫は二十五才、照子姫は二十三才になつて居た。年齢に於て二十年許り違つて居る」</ref>。二人は行成彦(第四代天使長・広宗彦の弟)の「四代目の孫」<ref>{{rm|27|15|情意投合}}:「此照子姫、清子姫は其祖先は行成彦命であつて、四代目の孫に当つて居る」</ref>(玄孫=四代後の子孫の意味だと思われる<ref>{{rm|27|17|沼の女神}}の清子姫(琉球沼の清子姫)の歌の中で「妾は(略)広宗彦が四代の孫(略)汝が父の常楠は 国彦、国姫が三代目の曾孫」と歌われており、「三代目」を「曾孫」(三代後の子孫)と呼んでいる。</ref>)である。
* {{rm|27|17|沼の女神}}に、清子姫・照子姫と容姿がそっくりで、名前も同じ清子姫・照子姫(第四代天使長・[[広宗彦]]の「四代の孫」)が登場する。 →「[[清子姫・照子姫 (琉球沼)]]」
* 清子姫・照子姫は[[琉球]]へ渡る途中で、[[清彦・照彦]](旧名は虻公・蜂公)と恋仲になるが、結ばれず、[[高砂島]]に渡り、清子姫は[[ヒルの国]]の[[楓別命]]と結婚し、照子姫は[[高照山]]の([[バラモン教]]の教主)[[石熊]]と結婚する<ref>{{rm|33|15|婆論議}}:「清子姫は日の出神の命に依りて、ヒルの都の楓別命の妻となり(略)照子姫は国依別命の媒酌に依つて、バラモン教の教主たりし石熊の妻となり、高照山の館に於て三五教を開く事となつた」</ref>。[[清彦・照彦]]は琉球沼で出会った[[清子姫・照子姫 (琉球沼)|清子姫・照子姫]]と結婚する。
== エピソード ==
=== 第17巻 ===
清子姫・照子姫は神勅を受け、[[比治山]]に草庵を結び、[[比沼の真名井]]に[[豊国姫]]が出現するのを待っていた。そこで[[ウラナイ教]]の[[黒姫]]と出会い、ウラナイ教の教えを説き聞かされて、半信半疑となって黒姫に従った。<ref>このエピソードはあらすじのように記されているだけで、ドラマが描かれているわけではない。{{rm|27|15|情意投合}}:「神勅を受けて、比沼真奈井に豊国姫出現に先立つて現はれ、比治山に草庵を結び、時を待つて居たのである。そこへウラナイ教の黒姫に出会し、いろいろとウラナイ教の教理を説き聞かされ、半之れを信じ、半之を疑ひ、何程黒姫が弁舌を以て説きつくる共、清子姫、照子姫は魔窟ケ原の黒姫が館には一回も足をむけず、又高姫などにも会はなかつた。只黒姫の言葉を反駁もせず、善悪を取捨して表面服従して居たのみであつた。此二女の黒姫に対する態度は、其時の勢上已むを得ず、之れ以上最善の態度を執ることが出来なかつたのである」</ref>
{{rm|17|9|大逆転}}で、二人は黒姫の従者として、[[真名井ケ原]]に参詣に向かう[[お楢]]<ref>[[平助]]が帰幽した後のエピソード。</ref>と出会っている。{{rms|17|10|四百種病}}では黒姫と共に[[丹波村]]のお楢の家に行き、二人がウラナイ教の宣伝歌を歌うと、病床の[[お節]](後の[[玉能姫]])はますます悶え苦しんだ。
=== 第27巻 ===
[[豊国姫命]]の神勅が二人に降り──[[竜宮島]]から[[梅子姫]]一行が五個の[[麻邇宝珠]]を持ち帰り、[[由良の港]]の[[秋山彦]]の館に着いて、[[神素盞嗚大神]]と[[国武彦命]]がお出でになった──と聞いて、二人は秋山彦の館へ向かったが、麻邇宝珠はすでに[[綾の聖地]]へ送られた後だった。二人は綾の聖地に向かう。そこで[[言依別命]]から──これから琉球に渡れ──との神勅を受ける。二人は[[高熊山]]の岩窟で21日間、[[木花姫命]]から教えを受けた後、[[生田の森]]を経て、[[兵庫の港]]で新しい船を買い、[[瀬戸の海]]に出た。ところが[[児島半島]]のそばで暗礁に乗り上げ、困っているところを、[[清彦・照彦]]が乗った船に救い上げられ、4人で琉球へ向かう。<ref>このエピソードはあらすじのように記されているだけで、ドラマが描かれているわけではない。{{rm|27|14|草枕}}:この章は全部が清子姫・照子姫の事跡を歌う歌が記されている。{{rm|27|15|情意投合}}:「時に豊国姫命の神勅、此二人に降り、諏訪の湖の玉依姫より麻邇宝珠を受取り、梅子姫其他一行が、由良の港の秋山彦が館に帰り来り、神素盞嗚大神、国武彦命の出でますと聞きて、二人は旅装を整へ、由良の港の秋山彦の館に出で来りし頃は、最早麻邇宝珠は聖地に送られ、神素盞嗚大神、国武彦命の御行方も分らなくなつた後の祭りであつたから、二人は時を移さず、陸路聖地に向ひ、錦の宮の玉照彦、玉照姫の神司に謁し、琉球の島に渡るべく、再び聖地を立ちて、玉照彦命の出現地なる高熊山に立籠もり、三週間の改めて修業をなし、木花姫の神教を蒙りて、意気揚々と山坂を越え、生田の森に立寄り、それより兵庫の港を船出して、琉球に向はんとし、神の仕組か、思はずも児島半島の手前に於て暗礁に乗りあげ、危険極まる所へ、三五教の新宣伝使、清彦、照彦の舟に助けられ、漸く那覇港に四人連れ安着し」</ref>
[[清彦・照彦]]は、[[言依別命]]・[[国依別]]の後を[[高姫]]が追跡していると知り、高姫が言依別命らに危害を加えるかも知れないと思い、その後を追っていた。4人は船中で過ごすうちに互いに恋愛感情が芽生える。しかし、清子姫は清彦を、清彦は照子姫を、照子姫は照彦を、照彦は清子姫を好きなるという複雑な恋愛関係だった。那覇港に上陸して、[[槻の洞穴]]で[[高姫]]一行と出会い、その後、[[言依別命]]一行と出会う。言依別命は清彦・照彦に、琉球の守護を命じた。言依別命・国依別は船で高砂島に向かい、清子姫・照子姫はその後を追って船で高砂島へ向かった。 →詳細は「[[清彦・照彦#第27巻]]」を見よ 〔{{rm|27|15|情意投合}}~{{rms|27|16|琉球の神}}〕
=== 第33巻 ===
清子姫・照子姫は、[[言依別命]]から[[常世の国]]を宣伝せよと命じられ、常世の国を一巡してから、神界の都合により、[[テルの国]]の「[[乾の滝]]」の滝壺に繋がった池([[玉の池]])にある岩島に行き、身魂を清めて[[高姫]]一行が訪れるのを待っていた。<ref name="rm3314">{{rm|33|14|魂の洗濯}}:「言依別の神様より、常世の国の宣伝を仰せ付けられましたので、一巡常世の国を渡り、神界の都合に依つて、一ケ月程以前に此処に参り、身魂を清め、貴方方のここをお通り遊ばすことを知つて、お待受けして居りました」</ref>
清子姫・照子姫は、[[言依別命]]の命により、[[ヒルの国]]、[[カルの国]]、[[間の国]]を経て、[[常世の国]]へ渡り、[[三五教]]を宣伝した。清子姫は[[日の出神]]の命によって、[[ヒルの国]]の[[楓別命]]の妻となる。その後ヒルの国を発ち、妹・照子姫と共に「[[乾の滝]]」へ行き、「[[玉の池]]」の中心にある岩石の上に小さい家を建てて、百日間の修行をしていたのだった。<ref name="rm3315">{{rm|33|15|婆論議}}:「因に清子姫は妹照子姫と共に言依別命の命に依り、三倉山の谷川に進み、国魂神の竜世姫命の宮に詣で、数多の国人を教へ導き、それよりヒル、カル、間の国を経て、常世の国に渡り、ロツキー山に進み、鬼城山に到り、鬼武彦以下の白狐神に守られ、三五の道を宣伝し、清子姫は日の出神の命に依りて、ヒルの都の楓別命の妻となり、ヒルの館を立出で、妹照子姫と共に此瀑布に立向ひ、山中の玉の池の中心に屹立せる岩石の上に小さき亭を建て、百日百夜の修行をせむとしてゐたのであつた。又照子姫は国依別命の媒酌に依つて、バラモン教の教主たりし石熊の妻となり、高照山の館に於て三五教を開く事となつた。さうして石熊は国依別命より、光国別と云ふ神名を頂き、夫婦相和して大蛇退治の大神業に奉仕する事となつた」</ref>
それから一ヶ月後、高姫一行6人([[高姫]]、[[鷹依姫]]、[[竜国別]]、[[常彦]]、[[テーリスタン]]、[[カーリンス]])がやって来た。<ref name="rm3314" />
照子姫は[[国依別]]の媒酌で、[[高照山]]の([[バラモン教]]の教主)[[石熊]]の妻となり、高照山の館で[[三五教]]を開いた。<ref name="rm3315" />
〔以上、{{rm|33|14|魂の洗濯}}~{{rms|33|15|婆論議}}〕
=== 第69巻 ===
[[楓別命]]と清子姫の間に、[[国愛別]]と[[清香姫]]という一男一女が生まれた。〔{{rm|69|17|琴玉}}〕
[[第69巻]]はこの[[国愛別]]・[[清香姫]]、それに[[国照別]]・[[春乃姫]]([[国依別]]と[[末子姫]]の子)の4人が主要人物となる。
== 脚注 ==
<references/>
{{デフォルトソート:きよこひめてるこひめひぬのまない}}
[[Category:霊界物語の人物 (組)]]