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ページの作成:「{{RmSyohonSouiten|第23巻}} ---- {| class="rm_syohon_souiten" |八||p506上||魔我彦はやにはに両手を組み、竹彦に向かつてウンと一声、 |- |愛|…」
{{RmSyohonSouiten|第23巻}}
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{| class="rm_syohon_souiten"
|八||p506上||魔我彦はやにはに両手を組み、竹彦に向かつてウンと一声、
|-
|愛||p35||魔我彦は矢庭に両手を組み、竹彦に向つてウンと一声、'''魔我彦は、'''
|-
|R|| ||愛世版と同じ
|}
{| class="rm_syohon_souiten"
|御||p67(第4章)||アトラスの様な曼陀羅の面を'''講'''座の上に曝し、(この章の中に4回「講座」があるが、「高座」は1回も無い)
|-
|校||p59||アトラスのやうな曼陀羅の面を'''高'''座の上に曝し、(「講座」には「講義をする場所」という意味もあるの誤用ではないが、分かりやすくするために「高座」に直したか?)
|-
|八||p514上||校定版と同じ
|-
|愛||p57||御校正本と同じ (他にp59,70,71にもあり)
|-
|R|| ||御校正本と同じ「講座」(2020/5/9までは「高座」)
|}
{| class="rm_syohon_souiten"
|八||p519上||高姫はじめ魔我彦、竹彦の宣伝使、エライ取違ひを
|-
|愛||p69||高姫'''様'''始め魔我彦、竹彦の宣伝使、エライ取違ひを
|-
|R|| ||愛世版と同じ
|}
{| class="rm_syohon_souiten"
|御||p99(第5章)||一人の娘を'''調裁坊'''に致し、(一般には校定版のように「嘲斎坊」と書く。「人を馬鹿にしてからかうこと。また、嘲弄される人」〔広辞苑〕)
|-
|校||p88||一人の娘を'''嘲斎坊'''にいたし、
|-
|八||p524下||校定版と同じ
|-
|愛||p85||御校正本と同じ
|-
|R|| ||御校正本と同じ
|}
{| class="rm_syohon_souiten"
|八||p538上||想へば可哀さうになつてきた
|-
|愛||p120||想へば'''想へば'''可愛相になつて来た
|-
|R|| ||愛世版と同じ
|}
{| class="rm_syohon_souiten"
|御||p154(第7章)||'''婆'''は涙を拭ひ乍ら、(改行)'''お久'''『ハイもう
|-
|校||p131||'''お久'''は涙を拭ひながら、(改行)『ハイもう
|-
|八||p540下||校定版と同じ
|-
|愛||p128||御校正本と同じ
|-
|R|| ||御校正本と同じ
|}
{| class="rm_syohon_souiten"
|御||p165(第8章)||(章末の「附記」)
|-
|校||p139||(掲載されていない)
|-
|八||p540下||(掲載されていない)
|-
|愛||p136||(掲載されている)
|-
|R|| ||{{Serious}}(掲載する)
|}
{| class="rm_syohon_souiten"
|八||p559下||あなたは既にお宝が手に
|-
|愛||p179||貴方は既に'''已に'''お宝が手に
|-
|R|| ||愛世版と同じ
|}
{| class="rm_syohon_souiten"
|八||p560上||ちつと腕に撚りでもかけて'''燥'''ぎなされ』
|-
|愛||p180||些と腕に撚りでもかけて'''噪'''ぎなされ』
|-
|R|| ||愛世版と同じ
|}
{| class="rm_syohon_souiten"
|御||p286(第14章)||これも神が媒介(なかうど)を致さ'''ぬ'''と、 (「致さん」を「致さぬ」に訂正している)
|-
|校||p236||これも神が媒介をいたさ'''む'''と、
|-
|八||p580上||校定版と同じ
|-
|愛||p232||御校正本と同じ
|-
|R|| ||校定版と同じ (文意は「媒介をしよう」だが、「さぬ」だと打ち消し、つまり「媒介をしない」という意味になってしまう。校定版の「さむ」が正しい)
|}
{| class="rm_syohon_souiten"
|八||p586下||宣伝使は岩窟の前に中婆の首を垂れ、'''モノグロ'''してをるのを見て、
|-
|愛||p248||宣伝使は岩窟の前に中婆の首を垂れ、'''モノログ'''して居るのを見て、
|-
|R|| ||愛世版と同じ
|}
{| class="rm_syohon_souiten"
|八||p591上||あまたの教'''従'''を呼び集へ(誤字)
|-
|愛||p262||数多の教'''徒'''を呼集へ
|-
|R|| ||愛世版と同じ
|}
{| class="rm_syohon_souiten"
|御||p340(第17章)||さう血道を'''分けて'''呆ける筈は無い。
|-
|校||p279||御校正本と同じ
|-
|八||p596上||さう血道を'''上げて'''呆けるはずがない。(一般的には「血道を上げる」と言う。「血道を分ける」とは言わない。一般的な語法としては八幡版が正しい)
|-
|愛||p274||御校正本と同じ
|-
|R|| ||御校正本と同じ
|}
{| class="rm_syohon_souiten"
|御||p342(第17章)||'''もゝくちや'''だらけの紙を両手で皺を伸ばし乍ら、(繰り返し記号「ゝ」なので、誤字というわけではないだろう)
|-
|校||p281||御校正本と同じ
|-
|八||p597上||'''もみくちや'''だらけの紙を両手で皺を伸ばしながら、
|-
|愛||p276||御校正本と同じ
|-
|R|| ||御校正本と同じ
|}
<hr>
御校正本・愛世版で「オースタリヤ」が、校正版・八幡版で「オースタラリヤ」に直されている。
* 第23巻第17章に3ヶ所 御校正本p343,345,347
* 第23巻第18章に1ヶ所 御校正本p361
* 第34巻第4章に1ヶ所 御校正本p57
それ以外のところでは「オーストラリヤ」が使われている(たとえば第24巻第3章の章末 御校正本p63)。
「オースタリヤ」は誤字ではなく、「トラ」が転訛して「タ」になった発音とも考えられる、霊界物語ネットでは直さずにそのままにしておく。
<hr>
第8章の「付記」は八幡版には掲載されていない。{{Serious}}
<hr>
{{デフォルトソート:*}}
[[Category:霊界物語の諸本相違点]]
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{| class="rm_syohon_souiten"
|八||p506上||魔我彦はやにはに両手を組み、竹彦に向かつてウンと一声、
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|愛||p35||魔我彦は矢庭に両手を組み、竹彦に向つてウンと一声、'''魔我彦は、'''
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|R|| ||愛世版と同じ
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{| class="rm_syohon_souiten"
|御||p67(第4章)||アトラスの様な曼陀羅の面を'''講'''座の上に曝し、(この章の中に4回「講座」があるが、「高座」は1回も無い)
|-
|校||p59||アトラスのやうな曼陀羅の面を'''高'''座の上に曝し、(「講座」には「講義をする場所」という意味もあるの誤用ではないが、分かりやすくするために「高座」に直したか?)
|-
|八||p514上||校定版と同じ
|-
|愛||p57||御校正本と同じ (他にp59,70,71にもあり)
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|R|| ||御校正本と同じ「講座」(2020/5/9までは「高座」)
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|八||p519上||高姫はじめ魔我彦、竹彦の宣伝使、エライ取違ひを
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|愛||p69||高姫'''様'''始め魔我彦、竹彦の宣伝使、エライ取違ひを
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|R|| ||愛世版と同じ
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{| class="rm_syohon_souiten"
|御||p99(第5章)||一人の娘を'''調裁坊'''に致し、(一般には校定版のように「嘲斎坊」と書く。「人を馬鹿にしてからかうこと。また、嘲弄される人」〔広辞苑〕)
|-
|校||p88||一人の娘を'''嘲斎坊'''にいたし、
|-
|八||p524下||校定版と同じ
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|愛||p85||御校正本と同じ
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|R|| ||御校正本と同じ
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{| class="rm_syohon_souiten"
|八||p538上||想へば可哀さうになつてきた
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|愛||p120||想へば'''想へば'''可愛相になつて来た
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|R|| ||愛世版と同じ
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{| class="rm_syohon_souiten"
|御||p154(第7章)||'''婆'''は涙を拭ひ乍ら、(改行)'''お久'''『ハイもう
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|校||p131||'''お久'''は涙を拭ひながら、(改行)『ハイもう
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|八||p540下||校定版と同じ
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|愛||p128||御校正本と同じ
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|R|| ||御校正本と同じ
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|御||p165(第8章)||(章末の「附記」)
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|校||p139||(掲載されていない)
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|八||p540下||(掲載されていない)
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|愛||p136||(掲載されている)
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|R|| ||{{Serious}}(掲載する)
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|八||p559下||あなたは既にお宝が手に
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|愛||p179||貴方は既に'''已に'''お宝が手に
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|R|| ||愛世版と同じ
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{| class="rm_syohon_souiten"
|八||p560上||ちつと腕に撚りでもかけて'''燥'''ぎなされ』
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|愛||p180||些と腕に撚りでもかけて'''噪'''ぎなされ』
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|R|| ||愛世版と同じ
|}
{| class="rm_syohon_souiten"
|御||p286(第14章)||これも神が媒介(なかうど)を致さ'''ぬ'''と、 (「致さん」を「致さぬ」に訂正している)
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|校||p236||これも神が媒介をいたさ'''む'''と、
|-
|八||p580上||校定版と同じ
|-
|愛||p232||御校正本と同じ
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|R|| ||校定版と同じ (文意は「媒介をしよう」だが、「さぬ」だと打ち消し、つまり「媒介をしない」という意味になってしまう。校定版の「さむ」が正しい)
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{| class="rm_syohon_souiten"
|八||p586下||宣伝使は岩窟の前に中婆の首を垂れ、'''モノグロ'''してをるのを見て、
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|愛||p248||宣伝使は岩窟の前に中婆の首を垂れ、'''モノログ'''して居るのを見て、
|-
|R|| ||愛世版と同じ
|}
{| class="rm_syohon_souiten"
|八||p591上||あまたの教'''従'''を呼び集へ(誤字)
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|愛||p262||数多の教'''徒'''を呼集へ
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|R|| ||愛世版と同じ
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{| class="rm_syohon_souiten"
|御||p340(第17章)||さう血道を'''分けて'''呆ける筈は無い。
|-
|校||p279||御校正本と同じ
|-
|八||p596上||さう血道を'''上げて'''呆けるはずがない。(一般的には「血道を上げる」と言う。「血道を分ける」とは言わない。一般的な語法としては八幡版が正しい)
|-
|愛||p274||御校正本と同じ
|-
|R|| ||御校正本と同じ
|}
{| class="rm_syohon_souiten"
|御||p342(第17章)||'''もゝくちや'''だらけの紙を両手で皺を伸ばし乍ら、(繰り返し記号「ゝ」なので、誤字というわけではないだろう)
|-
|校||p281||御校正本と同じ
|-
|八||p597上||'''もみくちや'''だらけの紙を両手で皺を伸ばしながら、
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|愛||p276||御校正本と同じ
|-
|R|| ||御校正本と同じ
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御校正本・愛世版で「オースタリヤ」が、校正版・八幡版で「オースタラリヤ」に直されている。
* 第23巻第17章に3ヶ所 御校正本p343,345,347
* 第23巻第18章に1ヶ所 御校正本p361
* 第34巻第4章に1ヶ所 御校正本p57
それ以外のところでは「オーストラリヤ」が使われている(たとえば第24巻第3章の章末 御校正本p63)。
「オースタリヤ」は誤字ではなく、「トラ」が転訛して「タ」になった発音とも考えられる、霊界物語ネットでは直さずにそのままにしておく。
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第8章の「付記」は八幡版には掲載されていない。{{Serious}}
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[[Category:霊界物語の諸本相違点]]