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三鏡で王仁三郎は「私は自分の銅像は建てぬ事にして居る。私の像は十三段の石の塔である。台迄よせて十八になる。即ちミロクの意味である」[[三鏡]]の中で王仁三郎は「私は自分の銅像は建てぬ事にして居る。私の像は十三段の石の塔である。台迄よせて十八になる。即ちミロクの意味である」<ref>{{kgm|213|生前に銅像を建ててはならぬ}}、初出は『[[神の国]]』昭和2年(1927年)11月号</ref>と語っているが、この「十三段の石の塔」とは、みろく塔(あるいは月宮殿前に建てた同形の塔)のことではないかと思われる。
みろく塔
,編集の要約なし
『[[新月の光]]』によると、高砂沖の[[神島開き]]のきっかけとなった舎利(王仁三郎の左目の下から出た石)は、王仁三郎によって五六七塔(みろく塔)の下に埋められた。<ref>『[[新月の光]]』0019「神島開き(開祖、大正五年旧九月九日、神筆を揮わる)」</ref>
== 略年表 ==