教学碑

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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教学碑。2008年9月撮影。
教学碑。2014年3月撮影。
教学碑の碑面。

教学碑(きょうがくひ)は、天恩郷内にある石碑の一つ。出口王仁三郎の筆になる教旨三大学則が刻まれている。「教旨・学則碑」とも呼ばれる。昭和28年(1953年)4月18日建立。

文面は以下の通り[1]

 神人一致

神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の主体也

霊体合一して茲に無限の神徳を発揮す

 学則

神の黙示は即吾俯仰観察する宇宙の霊力体の三大を以てす

一、天地の真象を観察して真神の体を思考すべし

一、万有の運化の毫差無きを視て真神の力を思考すべし

一、活物の心性を覚悟して真神の霊魂を思考すべし

以上の活経典あり 真神の真神たる故由を知る 何んぞ人為の書巻を学習するを要せむや

唯不変不易たる真鑑実理ある而巳

右神諦文は出口王仁三郎 明治三十一年如月九日 高熊山修行の砌案出したる教義の一部なり

 昭和十年九月八日 王仁識之

この文字は昭和10年(1935年)9月8日に王仁三郎が書いたものである。石碑が彫り上がり建碑の準備が進められていたが、第二次大本事件によって破壊されてしまった。

建立予定の碑石は巨大なものだった。縦6.7m、横2.5m、厚さ50cm、重量30トン(8千貫)もある仙台石で[2]、昭和8年(1933年)11月26日に亀岡駅に到着し、500人の奉仕者によって天恩郷に運ばれた。

この石には表に大本教旨三大学則四大綱領四大主義の4つが、裏には王仁三郎の歌が刻まれていた。石は破壊されてしまったが、石摺が京都市内の石屋・吉村茂右衛門の蔵に隠されており、戦後大本本部に返納された。その石摺によって昭和28年(1953年)4月18日に教学碑が建立された。また、四大主義碑が昭和46年(1971年)8月6日に建立された。

なお、教旨の文言にはいくつかの種類がある。昭和10年4月8日、王仁三郎は教旨の一部を改め、従来は「神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の司宰者なり 神人合一して茲に無限の権力を発揮す」だったが、「神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の主体なり、霊体合一して茲に無限の神力を発揮す」に変えた。本宮山の教碑では「大司宰」になっている。教学碑では「主体」「霊体」「神徳」になっている。現在の大本教団では「主体」「神人」「権力」にしている[3]。→詳細は「大本教旨

〔参考文献:『大本七十年史 下巻』「本部での動き#」、「造営#」〕

関連項目

脚注

  1. 石碑にはフリガナは付いていないが仮にフリガナを付けるとこうなる→「大本三大学則#」(霊界物語ネット)
  2. 王仁三郎が全国に建立した歌碑等の石碑の中で最大級である。
  3. 大本本部公式サイト内「大本教旨・三大学則