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万祥殿 (旧)

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'''万祥殿'''(ばんしょうでん)は、[[亀岡]]の[[天恩郷]]にあった神殿。

== 概要 ==
* 万祥殿は[[天恩郷]]の北部、現在の[[花明山植物園]]の温室がある辺りを敷地として、昭和7年(1932年)から建設が始まった。屋根の高さ18メートル、総銅葺き。総建坪555.5坪で、広前は1000畳敷きという大きな建物で、広前の3分の1は畳席、3分の2は椅子席とする構想だった。<ref name="B195402c5422">『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c5422|神苑の造営と祭事}}」</ref>
* [[王仁三郎]]は「[[花明山]]に万祥殿の建つ時はわが大本の道輝かむ」と歌を詠んで、その建設を急いだが<ref name="B195402c8241">『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c8241|造営}}」</ref>、基礎工事が終わったところで未完成のまま[[第二次大本事件]]を迎えた。

== 略年表 ==
* 昭和7年(1932年)2月16日、地鎮祭。<ref name="B195402c5422" /> <ref name="op">『大本年表』</ref>
* 昭和8年(1933年)8月5日、地鎮祭?<ref name="op" /> <ref>『大本年表』に何故か昭和7/2/16と8/8/5の2回「地鎮祭」が記されている。</ref>
* 万祥殿の建設はその後進捗せず、昭和8年2月には万祥殿完成促進委員が任命され促進が図られ、また11月の秋の大祭では参拝者によって砂利運び等の作業が行われ、昭和9年中に完成する予定だった。<ref name="B195402c5422" />
* 昭和10年(1935年)6月5日、斧始祭。<ref name="op" />
* 同年8月、まだ未完成の万祥殿の敷地に天幕を張り、聖師聖誕祭が行われた。(この年の10月には綾部の、やはり未完成の[[長生殿]]の敷地内で、大本大祭や開祖祭が行われた。それまでは綾部・[[五六七殿]]と亀岡・[[大祥殿]]で大祭が行われていたが、この年から長生殿と万祥殿で行われることになった)<ref name="B195402c5422" /> <ref>『大本年表』には次のように記されている。「8・10 聖師聖誕祭。8・11 万祥殿祭典。大祭五、六日前突然聖師より「万祥殿敷地にて祭典せよ」と言葉あり、敷地に急造の天幕を張り祭典挙行。大祥殿にて聖師脚色演出の第一回[[神聖歌劇]]を公演。聖師は[[天之峰火夫の神]]に扮して出演。三幕四場。」</ref>

== 脚注 ==
<references/>

{{デフォルトソート:はんしようてんきゆう}}
[[Category:大本の施設]]

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