差分

Jump to navigation Jump to search

出口王仁三郎

3 バイト追加, 2023年11月4日 (土) 15:36
綾部町議に当選
大正14年(1925年)5月11日の綾部町会議員選挙に王仁三郎は立候補し当選する。定員20名に対して29名が立候補し、王仁三郎は55票を得てトップ当選した。『大本七十年史』は「綾部町労働者団の有志に推されて」と記しているが、『京都日出新聞』は「信者有志の者に推され」と報じている。大本関係者としては他に2名([[岩田久太郎]]ともう1名)立候補したようである。<ref>『[[京都日出新聞]]』大正14年(1925年)5月8日夕刊(9日付)p2、同5月12日夕刊(13日付)p2。</ref> <ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c4444|国内宣教と造営}}」</ref>
王仁三郎が町議会に出席したことを詠んだ歌がいくつかある。「町議会出席すれば議員等が府税割当評議最中」「六円の弁当料を貰ひけり三度(みたび)町議に出席をして」どちらも大正15年(1926年)6月3日の歌日記* 王仁三郎が町議会に出席したことを詠んだ歌がいくつかある。「町議会出席すれば議員等が府税割当評議最中」「六円の弁当料を貰ひけり三度《みたび》町議に出席をして」どちらも大正15年(1926年)6月3日の歌日記<ref>『真如の光』大正15年(1926年)6月15日号p.10</ref>。 * 一年間一度も出席しなかったことも歌に詠んでいる。「珍しく町会議員の肩書で奈良県各地を視察せし哉《かな》」「町会に一度も顔を出さずして一年間を過ぎにける哉」どちらも昭和3年(1928年)12月31日に詠んだ歌<ref>『真如の光』昭和4年(1929年)1月15日号p.4</ref>。
== 第二次大本事件以降 ==

案内メニュー