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寅天堰

3,372 バイト追加, 2023年8月23日 (水) 22:37
ページの作成:「'''寅天堰'''(とらてんいね)は、かつて大堰川亀岡八木の境目付近にあった井堰。その近くに福島久子が茶店…」
'''寅天堰'''(とらてんいね)は、かつて[[大堰川]]の[[亀岡]]と[[八木]]の境目付近にあった井堰。その近くに[[福島久子]]が茶店を開き、[[上田喜三郎]]と邂逅した。「虎天堰」「虎天関」とも表記される。寅天堰があった場所には現在「上桂川統合堰」がある。

* 大本文献では「とらてんいね」と読まれる場合が多いが、大本以外では「とらてんぜき」と読まれる場合が多い。「堰」をなぜ「いね」と読むのかは不明。この地方特有の読み方か?<ref>「堰 いね」で検索するとこの地域の用例しか出て来ない。例①一ノ堰(いちのいね):[https://www.city.kameoka.kyoto.jp/uploaded/attachment/17106.pdf 惣搆につながる水源の散策]、例②京都府南丹市日吉町佐々江久世堰(ささ えくせ いね):https://www.navitime.co.jp/address/26213050116/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E5%8D%97%E4%B8%B9%E5%B8%82%E6%97%A5%E5%90%89%E7%94%BA%E4%BD%90%E3%80%85%E6%B1%9F%E4%B9%85%E4%B8%96%E5%A0%B0/ NAVITIIME]…日吉町の他の地域にも「堰(いね)」が付く地名がある。</ref> <ref>『大本七十年史』「{{obc|B195401c1511|初参綾への道}}」には「堰」に括弧書きして「井根」と記されているが意味が分からない。</ref>
* 表記ゆれ:[[霊界物語]]では2回出る。{{rm|37|21|参綾}}では「虎天関(とらてんいね)」、{{rm|nm|1|水火訓}}では「虎天堰(とらてんぜき)」。『[[大本七十年史]]』や『[[開祖伝]]』では「虎天堰(とらてんいね)」。『[[大地の母]]』では「寅天堰(とらてんいね)」。大本以外では「寅天堰(とらてんぜき)」と表記される場合が多い。
* [[福島久子]]の茶店の跡は現在、鉄道の線路(山陰線)が敷かれている。<ref>『[[大地の母]]』(みいづ舎版)第8巻「錦の機」p.102「寅天堰の茶店跡を二本の鉄道が貫いている」。</ref>
* 亀岡には上流の寅天堰から下流の上中島堰まで7ヶ所に堰があった。しかし昭和34年(1959年)8月の台風7号、9月の台風15号(伊勢湾台風)によって各堰は大きな被害を受けたため、昭和38年(1963年)に7ヶ所の堰を統合し、寅天堰があった場所に「上桂川統合堰」が造られた。<ref>[https://www.pref.kyoto.jp/nantan/do-kikaku/documents/1301392767331.pdf 『保津川かわまちづくり計画』p.5「1.4 保津川の利用」] 平成23年(2011年)3月、京都府南丹土木事務所・亀岡市</ref>
* 伝承によると、天正(16世紀)以降、「寅天(とらま)長者」と称する人物が[[大井川]]に堰を造った。<ref>{{pid|9576250/1/150|八木町誌}}八木豊太郎・編、昭和62年(1987年)、臨川書店、pp.263-265「一一一、虎松口と鳴瀧口」</ref>

== 外部リンク ==
* [https://www.weblio.jp/content/%E4%B8%8A%E6%A1%82%E5%B7%9D%E7%94%A8%E6%B0%B4 上桂川用水]:全国疏水名鑑 - weblio
* 寅天堰の水争い:{{pid|9574998/1/86|ふるさと亀岡をつづる}}福知正温・著、昭和57年(1982年)、大学堂書店、pp.153-155

== 脚注 ==
<references/>

{{デフォルトソート:とらてんいね}}
[[Category:地名]]

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