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雑誌記事一覧

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== 大正 ==
* [[大山郁夫]]「社会問題として見たる最近に於ける迷信流行の傾向」、『中央公論』大正9年(1920年)9月号、p63、中央公論社、{{obn|2001}}
* [[境野黄洋]](東洋大学長)「知識階級と大本教」、『太陽』大正9年(1920年)10月号、p117~118、博文館、{{obn|2002}}
* [[高島平三郎]]「教祖出口直子は精神異常者」、『太陽』大正9年(1920年)10月号、p119~122、博文館、{{obn|2003}}
* [[沢田撫松]]「公平無私のメスを揮って解剖したる疑問の大本教」、『新小説』大正9年(1920年)10月号、p1、春陽堂、{{obn|2004}}
* [[本多日生]](大僧正)「我国為政者の覚醒を促す」、『太陽』大正9年(1920年)10月号、p113~117、博文館、{{obn|2005}}
* [[沢田撫松]]「事実に依って断案を下せる大本教の批判」、『新小説』大正9年(1920年)11月号、p38、春陽堂、{{obn|2006}}
* [[北野博美]]「大本教を信ずる女」、『女の世界』大正9年(1920年)11月号、p100、{{obn|2007}}
* [[中村古峡]]「連載 余の観たる大本教」、『東亜の光』大正9年(1920年)3月号~、東亜協会、{{obn|2008}}
* [[今村力三郎]]「大本教の不敬事件と当局者の責任」、『中央公論』大正10年(1921年)6月号、p47~50、中央公論社、{{obn|2009}}

== 昭和(20年まで) ==
* [[那須皓]]「牧歌のいななき」(二 大本教主の片影)、『経済往来』昭和3年(1928年)10月号〔3巻10号〕、p273~283、経済往来社、{{obn|2010}}
* [[大宅壮一]]「出口王仁三郎訪問記」、『文学時代』昭和6年(1931年)1月号、p46、新潮社、{{obn|2011}}
* [[宇佐美武吉]]「[[日本言霊学概論]]」、『日本及日本人』昭和7年(1932年)1月号、{{obn|2196}}
* [[金王志武哉]]「大本教団天恩郷秘記」、『人の噂』昭和7年(1932年)5月号、p128、月旦社、{{obn|2012}}
* [[金王志武哉]]「世界に伸びる出口王仁三郎」、『人の噂』昭和7年(1932年)6月号、p132、月旦社、{{obn|2013}}
* 「世界紅卍字会と結び、満蒙に活躍する大本教」、『世界公論』昭和9年(1934年)1月1日号、p132、世界連邦公報社、{{obn|2014}}
* [[水原祐]]「大本教は果して没落したか 怪人出口王仁三郎の正体」、『話』昭和10年(1935年)2月号、p196、文芸春秋社、{{obn|2015}}
* 「座談会・怪教大本教を暴く(井上善吉・鳥羽重節・梅原眞隆ほか)」、『サンデー毎日』昭和10年(1935年)12月号、毎日新聞社、{{obn|2016}}
* M・T・M「大本教検挙とニウス戦 新聞匿名月評」、『文芸春秋』昭和11年(1936年)1月号、p132、文芸春秋社、{{obn|2017}}
* [[阿部真之助]]「妖怪・出口王仁三郎」、『文芸春秋』昭和11年(1936年)1月号、p166、文芸春秋社、{{obn|2018}}
* [[高津正道]]「大本教検挙の考察」、『改造』昭和11年(1936年)1月号、p292、改造社、{{obn|2019}}
* [[大宅壮一]]「大本教弾圧是非」、『日本評論』昭和11年(1936年)1月号、p577、日本評論新社、{{obn|2020}}
* [[神岡阿矢夫]]「怪教「大本」を脱出して 一修業者のみたからくり」、『話』昭和11年(1936年)2月号、p20、文芸春秋社、{{obn|2021}}
* [[今村新吉]]「鑑定余瀝」、『[[京都医学雑誌]]』昭和11年(1936年)6月号〔33巻6号〕、京都医学会、{{obn|2022}}
* [[今村新吉]]「鑑定余瀝」、『[[京都医学雑誌]]』昭和11年(1936年)7月号〔33巻7号〕、京都医学会、{{obn|2023}}
* [[今村新吉]]「鑑定余瀝」、『[[京都医学雑誌]]』昭和11年(1936年)8月号〔33巻8号〕、京都医学会、{{obn|2024}}
* 「出口王仁三郎と大本教の信者達 動脈硬化と歯痛で獄中に悩む生き神様」、『話』昭和12年(1937年)12月号、p330、文芸春秋社、{{obn|2025}}

== 昭和(21年~55年) ==
* [[阿部真之助]]「大本教」、『サンデー毎日』昭和22年(1947年)3月2日号〔26巻10号〕、p14、毎日新聞社、{{obn|2026}}
* [[直方敏]]「綾部の使徒行状記──続・大本教ものがたり」、『読物時事』昭和22年(1947年)9月1日号〔3巻7号〕、p8~9、時事通信社、{{obn|2027}}
* [[駒沢三郎]]「女弥次将軍と呼ばれても 哀愁の大石ヨシエ(出口王仁三郎を知る)」、『政界ジープ』昭和22年(1947年)10月1日号〔通巻14号(2巻10号)〕、p29~31、政界ジープ社、{{obn|2028}}
* 「出口王仁三郎昇天 百万円の葬式」、『週刊朝日』昭和23年(1948年)2月22日号、p9、朝日新聞社、{{obn|2029}}
* 「喪服の山越え十八里」、『アサヒグラフ』昭和23年(1948年)2月25日号、p10、朝日新聞社、{{obn|2030}}
* [[東大作]]「出口王仁三郎蒙古行状記」、『真相』昭和23年(1948年)5月1日号〔3巻6号〕、p21、人民社、{{obn|2031}}
* 「王仁三郎の横顔」、『号外』(?)昭和23年(1948年)5月27日号〔第2集〕、p22、新史書房、{{obn|2032}}
* [[石井純一]]「宗教界トピック集 王仁三郎亡き後の愛善苑──衣替えした大本教颯爽再建への発足」、『ヒロバ』昭和23年(1948年)8月号〔3巻7号(7.1発行)〕、p12~14、大地社、{{obn|2033}}
* 「世界平和と人類愛善運動」、『東北公論』昭和23年(1948年)9月20日号〔1巻8号〕、p7~12、東北公論社、{{obn|2034}}
* 「愛善苑」、『創作』昭和24年(1949年)5月1日号〔36巻5号〕、p5、創作社、{{obn|2035}}
* 「大本教改め愛善苑」、『真相(特集版)』昭和24年(1949年)7月15日号、p21、人民社、{{obn|2036}}
* 「愛善苑」、『宗教時報』昭和24年(1949年)8月1日号〔3巻6号(7~8月号)〕、p18~22、宗教時報社、{{obn|2037}}
* 「新興宗教をさぐる──愛善苑の巻」、『村の太陽』昭和24年(1949年)10月1日号〔創刊号〕、p24、全国新聞情報農業組合連合会、{{obn|2038}}
* 「王仁三郎師手造の楽焼茶碗鑑賞会」、『大道』昭和24年(1949年)10月1日号〔創刊号〕、p39、{{obn|2039}}
* [[東山三郎]]「出口王仁三郎と戦後の大本」、『同盟時報』昭和24年(1949年)11月号〔通号77・78号〕、p44、同盟通信社、{{obn|2040}}
* 「豪華な遺跡 大本教」、『毎日グラフ』昭和25年(1950年)3月15日号、p8、毎日新聞社、{{obn|2041}}
* 「出口家その後」、『アサヒグラフ』昭和27年(1952年)12月24日号、p12、朝日新聞社、{{obn|2042}}
* 「ペンとカメラで…大本愛善苑」、『毎日グラフ』昭和28年(1953年)6月3日号、p6、毎日新聞社、{{obn|2043}}
* [[林逸郎]]「大本教弾圧のかげに」、『文芸春秋臨時増刊』昭和29年(1954年)1月号〔32巻16号〕、p116、文芸春秋社、{{obn|2044}}
* [[薄田美朝]]「大本教攻略記」、『文芸春秋臨時増刊』昭和29年(1954年)7月号〔32巻11号〕、p87、文芸春秋社、{{obn|2045}}
* [[乾孝]]、[[松島栄一]]「教祖列伝 大本教」、『中央公論』昭和29年(1954年)9月号〔69巻9号〕、p188、中央公論社、{{obn|2046}}
* 「グラビア 三五教の世直し行事 神々の戯れ」、『サンデー毎日』昭和30年(1955年)5月8日号、毎日新聞社、{{obn|2047}}
* [[大宅壮一]]「怪僧・出口王仁三郎」、『文芸春秋臨時増刊風雲人物読本』昭和30年(1955年)6月5日号〔33巻12号〕、p20、文芸春秋社、{{obn|2048}}
* [[青地晨]]「大本教弾圧事件」、『知性』昭和31年(1956年)〔3巻10号〕、知性社、{{obn|2049}}
* [[山科小四郎]]「大本教事件」、『サンデー毎日臨時増刊』昭和32年(1957年)2月号、p78、毎日新聞社、{{obn|2050}}
* 「「福は内、鬼も内」綾部大本教の節分大祭」、『アサヒグラフ』昭和32年(1957年)2月24日号、p20、朝日新聞社、{{obn|2051}}
* 「三五教騒動記──手玉にとられた沼津市」、『週刊文春』昭和34年(1959年)11月16日号、p34~38、文芸春秋社、{{obn|2052}}
* [[梅棹忠夫]]「日本探検 綾部・亀岡 大本教と世界連邦」、『中央公論』昭和35年(1960年)3月号〔75巻3号〕、p184、中央公論社、{{obn|2053}}
* 「われこそは万能宗教 教団「大本」を訪ねる」、『毎日グラフ』昭和35年(1960年)4月17日号、p10、毎日新聞社、{{obn|2054}}
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 1」、『歴史評論』昭和35年(1960年)12月号〔通号124号〕、校倉書房、{{obn|2055}}
* 木暮正義「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 2」、『歴史評論』昭和36年(1961年)1月号〔通号125号〕、校倉書房、{{obn|2056}}
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 3」、『歴史評論』昭和36年(1961年)2月号〔通号126号〕、校倉書房、{{obn|2057}}
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 4」、『歴史評論』昭和36年(1961年)3月号〔通号127号〕、校倉書房、{{obn|2058}}
* [[前島不二雄]]「昭和神聖会運動」、『日本史研究』昭和36年(1961年)4月号〔通号54号〕、p66-69、日本史研究会、{{obn|2059}}
* [[芳賀日出男]]「大本の芸能」、『芸能』昭和36年(1961年)4月号〔3巻4号〕、芸能発行所、{{obn|2060}}
* [[木暮正義]]「出口直の立替・立直思想について──原始大本教によせる一考察 5(完)」、『歴史評論』昭和36年(1961年)7月号〔通号131号〕、校倉書房、{{obn|2061}}
* [[野上龍]]「ある新興宗教の教祖」、『文芸春秋』昭和39年(1964年)7月号、p246、文芸春秋社、{{obn|2062}}
* 「連載 ひとつの人格(1~3)(出口栄二・著)」、『図書新聞』昭和39年(1964年)7月4日号~18日号、図書新聞社、{{obn|2063}}
* [[黒田領治]]・他「(座談会)出口直日の陶芸」、『陶説』昭和39年(1964年)12月号〔通号141号〕、日本陶磁協会、{{obn|2064}}
* [[前島不二雄]]「軍ファシズム運動と大本教」、『日本史研究』昭和39年(1964年)12月号〔通号75号〕、p60-78、日本史研究会、{{obn|2065}}
* [[大宅壮一]]「出口王仁三郎と大本弾圧事件」、『中央公論』昭和40年(1965年)4月号〔80巻4号〕、p429、中央公論社、{{obn|2066}}
* [[勝本清一郎]]「こころの遠近 大本教と精神医学」、『朝日ジャーナル』昭和40年(1965年)6月6日号〔7巻23号〕、p59、朝日新聞社、{{obn|2067}}
* [[加藤秀俊]]「グラビア 昭和史の瞬間 社会不安の反映、大本教」、『朝日ジャーナル』昭和40年(1965年)6月27日号〔7巻26号〕、p94、朝日新聞社、{{obn|2068}}
* [[上田正昭]]「近代宗教としての大本教」、『思想の科学』昭和40年(1965年)9月号〔通号42号〕、p29-36、思想の科学社、{{obn|2069}}
* [[小沢信男]]「日本教育探検 大本教の青年」、『読書新聞』昭和41年(1966年)1月1日号、p11、{{obn|2070}}
* [[松島栄一]]「教団大本 そのロゴスと、ミュトス」、『図書新聞』昭和42年(1967年)10月7日号、p1、図書新聞社、{{obn|2071}}
* [[出口京太郎]]「出口王仁三郎を語る」、『今橋ニュース』昭和42年(1967年)12月号、p4、{{obn|2072}}
* [[新名丈夫]]「大本事件(上)」、『歴史読本』昭和42年(1967年)12月号、p216、新人物往来社、{{obn|2073}}
* [[末永勝介]]「日本性ゴウ伝7 恍惚の大教祖・出口王仁三郎」、『宝石』昭和43年(1968年)5月号、p280、光文社、{{obn|2074}}
* 「突然銀座に躍り出た香港の“紅卍字会” 有名人をトリコにする中国“老祖のお告げ”」、『週刊サンケイ』昭和43年(1968年)11月11日号、p136、扶桑社、{{obn|2075}}
* [[有竹修二]]「城南閑話 官僚百態「大本教」のこと 明治百年史の一断面」、『国民サロン』昭和44年(1969年)2月号、p51、国際政経調査会、{{obn|2076}}
* [[谷川徹三]]・他「(座談会)出口直日陶芸展をめぐって」、『三彩』昭和44年(1969年)3月号〔通号241号〕、p60~74、三彩社、{{obn|2077}}
* [[出口栄二]]「今日に生きる大本の「筆先」」、『中央公論臨時増刊日本の宗教』昭和46年(1971年)7月号〔86巻10号〕、p278~293、中央公論社、{{obn|2078}}
* [[出口京太郎]]「ブラジル・ハリ・キュウ旅行」、『季刊人類学』昭和46年(1971年)7月号〔2巻3号〕、p192~230、京都大学人類学研究会、{{obn|2079}}
* [[清水雅人]]「日本の秘密結社(5)弾圧下の新宗教 蓮門教・大本教・ひとのみち」、『伝統と現代』昭和46年(1971年)9月号、p170、伝統と現代社、{{obn|2080}}
* [[小口偉一]]・[[村上重良]]「出口王仁三郎と戸田城聖」、『現代の眼』昭和47年(1972年)1月号〔13巻1号〕、p136、現代評論社、{{obn|2081}}
* [[村上重良]]「近代日本と中国(28)大谷光瑞と出口王仁三郎」、『朝日ジャーナル』昭和47年(1972年)8月18日号〔14巻33号〕、p40、朝日新聞社、{{obn|2082}}
* [[小沢信男]]「出口王仁三郎──世直し予言の組織者」、『別冊経済評論』昭和47年(1972年)11月号〔通号11号〕、p232、日本評論社、{{obn|2083}}
* [[清水雅人]]「教祖と夢託 彼岸と此岸との往還の使者 大本教・出口王仁三郎」、『伝統と現代』昭和48年(1973年)1月号、p89、伝統と現代社、{{obn|2084}}
* [[前田トシ子]]「続女人の書(6)出口なお──大本教開祖のお筆先」、『日本美術工芸』昭和48年(1973年)4月号〔通号415号〕、p62、日本美術工芸社、{{obn|2085}}
* 「王仁三郎の“耀碗”がパリで評判」、『週刊現代』昭和48年(1973年)4月12日号、p35、講談社、{{obn|2086}}
* 「宗教団体青年部に「青春とは何か」を問う 第5回 大本」、『プレイボーイ』昭和48年(1973年)4月17日号、p156、集英社、{{obn|2087}}
* 「出口王仁三郎から生れた正統と異端」、『週刊文春』昭和48年(1973年)5月14日号、p155、文芸春秋社、{{obn|2088}}
* [[佐木秋夫]]「現代五大教祖烈伝」、『創』昭和48年(1973年)6月号、p144、創出版、{{obn|2089}}
* 「徹底分析 巨大宗教団体10派の実力者地図 大本教 保守派と進歩が混在」、『週刊大衆』昭和48年(1973年)8月23日号、p32、双葉社、{{obn|2090}}
* [[梅原正紀]]「弾圧の嵐の中の出口王仁三郎家」、『文芸春秋』昭和49年(1974年)1月号〔52巻1号〕、p236、文芸春秋社、{{obn|2091}}
* [[梅原正紀]]「経世済民への志向⦿の家(まことのいえ)<民衆宗教の原像(6)>」、『伝統と現代』昭和49年(1974年)1月号、p188、伝統と現代社、{{obn|2092}}
* [[出口京太郎]]「巨人・出口王仁三郎パリに甦る」、『現代』昭和49年(1974年)2月号、p251、講談社、{{obn|2093}}
* 「特集2 大本教団」、『季刊現代宗教』昭和50年(1975年)〔創刊号(1975春季)〕、エヌエス出版会、{{obn|2094}}
* 「パリでプロ扱いされた、ワニサブローの陶器「飛鳥」」、『週刊新潮』昭和50年(1975年)1月2日号、p25、新潮社、{{obn|2095}}
* 「⦿の家(まことのいえ) 世界連邦の建設をめざす<新宗教の“生き神さま”は語る(6)>」、『週刊大衆』昭和50年(1975年)1月23日号、p38、双葉社、{{obn|2096}}
* 「紀卍字会「内修・外慈」を説く不思議な修養団<新宗教の“生き神さま”は語る(13)>」、『週刊大衆』昭和50年(1975年)3月13日号、p126、双葉社、{{obn|2097}}
* [[北條明直]]「王仁三郎の茶わん」、『月刊ペン』昭和50年(1975年)9月号、p105、月刊ペン社、{{obn|2098}}
* [[出口栄二]]「理論の折り目をつけよう」、『朝日ジャーナル』昭和50年(1975年)10月3日号〔17巻43号〕、p22、朝日新聞社、{{obn|2099}}
* 「グラビア 現代日本の宗教 各宗派本山・本部 大本教」、『週刊読売』昭和50年(1975年)11月22日号巻頭、読売新聞社、{{obn|2100}}
* [[飯田良一]]「宗教弾圧の構造と論理 第二次大本教弾圧から宗教統制体制の確立まで」、『伝統と現代』昭和51年(1976年)9月号、p86、伝統と現代社、{{obn|2101}}
* 「出口王仁三郎の娘陶芸家・尚江さんの生涯」、『週刊新潮』昭和52年(1977年)8月18日号、p117、新潮社、{{obn|2102}}
* [[村上重良]]「特集 妻たちの歴史 出口王仁三郎とその妻すみ」、『伝統と現代』昭和52年(1977年)11月号、p45、伝統と現代社、{{obn|2103}}
* 「求道集団 鈴鹿山脈の麓に潜む「マルチョンの家」とは」、『週刊新潮』昭和52年(1977年)11月10日号、p64、新潮社、{{obn|2104}}
* 「特集 新聞社説に見る昭和事件史 大本教事件」、『流動』昭和53年(1978年)9月号、p64、流動出版、{{obn|2105}}
* 「大本教・出口王仁三郎は熾仁親王のご落胤!?」、『サンデー毎日』昭和53年(1978年)10月1日号、p172、毎日新聞社、{{obn|2106}}
* [[出口京太郎]]「なぜ王仁三郎の未来予測が見直されるか」、『現代』昭和54年(1979年)6月号、p368、講談社、{{obn|2107}}
* [[川村邦光]]「教祖における神がかりの意味をめぐって」、『論集』昭和55年(1980年)12月31日発行〔通号7号〕、東北印度学宗教学会、{{obn|2108}}
* [[出口栄二]]「日本の近代化と宗教」、『社会科学討究』昭和55年(1980年)3月号〔25巻3号〕、p585~609、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2109}}
* 「ミドル・リーダーの実力診断 大本教総長・出口京太郎43才“名門”は甦ったか」、『宝石』昭和55年(1980年)5月号、p208、光文社、{{obn|2110}}
* [[鹿野政直]]「安丸良夫著「出口なお」」、『歴史評論』昭和55年(1980年)7月号〔通号363号〕、p90~93、校倉書房、{{obn|2111}}
* [[梅原正紀]]「シリーズ新宗教の実像5 大本信仰に生きた人」、『創』昭和55年(1980年)12月号、p258、創出版、{{obn|2112}}
* [[丸山照雄]]「宗教界をおおう「天皇制」の影──東本願寺和解と大本教内紛」、『朝日ジャーナル』昭和55年(1980年)12月12日号〔22巻50号〕、p28、朝日新聞社、{{obn|2113}}

== 昭和(56年以降) ==
* [[丸山照雄]]「出口王仁三郎──皇権超克の精神と「大本弾圧」」、『現代の眼』昭和56年(1981年)1月号〔22巻1号〕、p222、現代評論社、{{obn|2114}}
* [[梅原正紀]]「“大本教内紛”の真相」、『人と日本』昭和56年(1981年)2月号、p96、行政通信社、{{obn|2115}}
* [[近藤真男]]「国家権力との競合を論ず──大本教事件の場合」、『国士館大学政経論叢』昭和56年(1981年)3月号〔通号35号〕、p111、国士館大学政経学会、{{obn|2116}}
* [[出口和明]]「大本教内紛の現状と改革への途」、『現代の眼』昭和56年(1981年)8月号〔22巻8号〕、p75、現代評論社、{{obn|2117}}
* [[梅原正紀]]「失敗した大本教の“反乱”」、『人と日本』昭和56年(1981年)8月号、p92、行政通信社、{{obn|2118}}
* 「巨大教団の財産追及 第13弾 大本ほか「分離騒動」と「財産」の相関を抉る」、『週刊ポスト』昭和56年(1981年)11月27日号、p222、小学館、{{obn|2119}}
* 「戦後大本教団史の真相を語る」、『民族宗教研究』昭和57年(1982年)第1号、民族宗教研究所、{{obn|2120}}
* [[栗原彬]]「郷(さと)の立替え立直し──出口王仁三郎」、『日本政治学会年報政治学』昭和57年(1982年)、p177、岩波書店、{{obn|2121}}
* [[川村邦光]]「スティグマとカリスマの弁証法──教祖をめぐる一考察」、『宗教研究』昭和57年(1982年)〔25号〕、宗教時報社、{{obn|2122}}
* [[寺井美奈子]]「昇華された恋愛感情──出口なお論」、『思想の科学』昭和57年(1982年)1月号、p15、思想の科学社、{{obn|2123}}
* [[八代誠]]「骨肉の争い「大本教内紛」教団追放で紛争は泥沼化」、『創』昭和57年(1982年)1月号、p158、創出版、{{obn|2124}}
* [[梅原正紀]]「大本教を騒がせた造反派のツケ 出口栄二の追放処分」、『人と日本』昭和57年(1982年)2月号、p70、行政通信社、{{obn|2125}}
* [[梅原正紀]]「大本教を騒がせた造反派のツケ」、『人と日本』昭和57年(1982年)2月号、p70、行政通信社、{{obn|2126}}
* [[出口栄二]]「近代日本における「信教の自由」と「宗教弾圧」」、『社会科学討究』昭和57年(1982年)7月号〔27巻3号〕、p751~778、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2127}}
* 「グラビア 昭和の顔60人 昭和10年」、『週刊文春』昭和57年(1982年)7月1日号巻頭、文芸春秋社、{{obn|2128}}
* 「巨大教団追及・第47弾 揺れる「PL教団」「大本教」の後継者騒動と財産問題」、『週刊ポスト』昭和57年(1982年)7月30日号、p209、小学館、{{obn|2129}}
* [[橋本信隆]]「真宗者の大本教批判──伊藤義賢を中心に」、『竜谷大学仏教文化研究所紀要』昭和57年(1982年)11月号〔通号21号〕、p127、竜谷大学仏教文化研究所、{{obn|2130}}
* [[島田一男]]「現代宗教者に問う 大本教嗣・出口聖子」、『中央公論』昭和58年(1983年)2月号〔98巻2号〕、p194、中央公論社、{{obn|2131}}
* [[出口栄二]]「強権政治による「近代化」と民衆宗教の対応──大本教弾圧事件の意味」、『社会科学討究』昭和58年(1983年)6月号〔28巻3号〕、p377~412、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2132}}
* [[栗原彬]]「民衆にとっての平和──民衆宗教大本の平和思想を緒口に」、『平和研究』昭和58年(1983年)11月号〔8号〕、p121、日本平和学会、{{obn|2133}}
* 「昭和の手紙 出口王仁三郎・すみの書簡」、『別冊太陽』昭和59年(1984年)6月25日号、p16、平凡社、{{obn|2134}}
* [[尾辻克彦]]「教祖王仁三郎の精華」、『芸術新潮』昭和60年(1985年)3月号〔36巻3号〕、p64、新潮社、{{obn|2135}}
* [[出口栄二]]「日本近代における政治と宗教のかかわり──祭神論争を通して」、『社会科学討究』昭和61年(1986年)12月号〔32巻2号〕、p331~364、早稲田大学アジア太平洋研究センター、{{obn|2136}}
* [[薄井篤子]]「女性教祖の誕生」、『宗教研究』昭和62年(1987年)〔274号〕、宗教時報社、{{obn|2137}}
* [[渡辺雅子]]「ちりめんの町における大本教の受容と展開」、『明治学院論叢』昭和62年(1987年)2月号〔通号403号〕、p1、明治学院大学、{{obn|2138}}
* [[内藤国夫]]「神声天眼学会・倉田地久統理 言霊信仰の超過激<人はいま、なぜ新宗教に走るか(2)ふだん着の教祖サマかく語りき>」、『現代』昭和62年(1987年)3月号、p174~176、講談社、{{obn|2139}}
* [[石川明保]]「中国が発祥 紅卍字会 人類最大の災厄に対処する術とは<日本の霊法集団4>」、『ゼンボウ』昭和62年(1987年)8月号、p42、全貌社、{{obn|2140}}
* [[石川明保]]「迫りくる終末予言に対抗する日本の霊法集団7 日月神示 日本にもあった世界的予言とは…」、『ゼンボウ』昭和62年(1987年)12月号、p94、全貌社、{{obn|2141}}
* 「インサイド 新興宗教の老舗「大本教」分裂に見る神々の黄昏」、『週刊サンケイ』昭和63年(1988年)3月3日号、p19、扶桑社、{{obn|2142}}
* 「「教主VS娘むこ」に信者17万人オロオロ 名門宗教「大本教」で「骨肉の争い」」、『FRIDAY』昭和63年(1988年)3月4日号、p14、講談社、{{obn|2143}}
* 「新興宗教・教祖を悩ます「生臭い暗闘」ついに分裂した名門教団骨肉のゆずらぬ「正統」争い」、『アサヒ芸能』昭和63年(1988年)4月21日号、p121、徳間書店、{{obn|2144}}
* [[野田晴巳]]「未来帝国・満州の興亡 亜細亜の黙示録 出口王仁三郎満蒙行の謎」、『月ノ光』昭和63年(1988年)6月1日号、p21、東京デガド社、{{obn|2145}}
* [[上之郷利昭]]「明治・大正・昭和 有名人おもしろまじめ交遊図巻 英文学者の入信で世間の評価を高めた大本教 出口王仁三郎、浅野和三郎」、『歴史読本臨時増刊』昭和63年(1988年)11月5日号、p92、新人物往来社、{{obn|2146}}

== 平成 ==
* [[四方田犬彦]]「書評 出口王仁三郎の「霊界物語」の復刊が始まった」、『SPA!』平成元年(1989年)6月21日号、p136、扶桑社、{{obn|2147}}
* [[出口京太郎]]「大本の健康観とヒーリング(日本民間療法大観)」、『思想の科学』平成元年(1989年)10月号〔通号121号〕、p43~48、思想の科学社、{{obn|2148}}
* [[出口京太郎]]「致知随想 世界平和を可能にする心」、『致知』平成2年(1990年)1月号、p95、致知出版社、{{obn|2149}}
* [[滝沢誠]]・[[松本健一]]「対談 幻の大高麗国と出口王仁三郎」、『知識』平成2年(1990年)4月号〔通号100号〕、p254、彩文社、{{obn|2150}}
* [[栗原彬]]「変容する社会主義 市民フォーラム・大本教・ネットワーキング」、『朝日ジャーナル臨時増刊』平成2年(1990年)6月20日号〔32巻24号〕、p150、朝日新聞社、{{obn|2151}}
* [[山口文憲]]「日本ばちかん巡り 第3回 大本 霊界二都物語」、『芸術新潮』平成2年(1990年)9月号、p125、新潮社、{{obn|2152}}
* 「TEMPO インシデント 亡くなった大本教3代教主「出口直日」の傷跡」、『週刊新潮』平成2年(1990年)10月4日号、p26、新潮社、{{obn|2153}}
* [[平川宗信]]「第二次大本教治安維持法違反事件」、『別冊ジュリスト 109号 宗教判例百選(第二版)』平成3年(1991年)1月10日号、p232-233、有斐閣、{{obn|2154}}
* [[早川和広]]「深層追及レポート 宗教界再編の目は立正佼成会、大本、黒住教」、『宝石』平成3年(1991年)2月号、p174、光文社、{{obn|2155}}
* 「ひかり教会 至恩郷 岡本三典 “芸術家教祖”の遺作を守って<グラビア 平成の教祖たち(16)>」、『アサヒ芸能』平成3年(1991年)4月25日号、p96~97、徳間書店、{{obn|2156}}
* [[川崎喜久子]]「「大本」教団の成立と活動(1)」、『社会学論叢』平成3年(1991年)6月号〔通号111号〕、p75、日本大学社会学会、{{obn|2157}}
* [[アレックス・カー]]「失われし美を求めて 第8回 大本教の国際部に就職し…」、『新潮45』平成3年(1991年)11月号、p164、新潮社、{{obn|2158}}
* [[松本健一]]「中山みき・出口なお──神がかりする女性」、『彷書月刊』平成4年(1992年)〔8巻2号〕、弘隆社、{{obn|2159}}
* 「墓碑銘 大本事件で迫害、拷問を受けた出口日出麿氏」、『週刊新潮』平成4年(1992年)1月16日号、p119、新潮社、{{obn|2160}}
* [[井上順孝]]「新宗教の解読7 増殖への憎悪」、『正論』平成4年(1992年)5月号、p340、産業経済新聞社、{{obn|2161}}
* [[井上順孝]]「新宗教の解読8 病のアナロジー」、『正論』平成4年(1992年)6月号、p306、産業経済新聞社、{{obn|2162}}
* [[デ二ス・バッド・グレイ]]「グラビア べトナムの新宗教 カオダイ、ただいま信者300万」、『宝石』平成4年(1992年)8月号、p33~41、光文社、{{obn|2163}}
* 出口和明「連載 出口王仁三郎 宇宙観講座」『合気ニュース』、平成5年(1993年)~平成7年(1995年)〔95号~100号、102号~106号〕、合気ニュース、{{obn|2194}}
* [[松本健一]]「書評 日本がわかる100冊 近代日本の「知の遺産」大本教の教祖が説く本 出口王仁三郎「神と倶にある人」天声社」、『月刊ASAHI』平成5年(1993年)1月号、p270、朝日新聞社、{{obn|2164}}
* [[武田崇元]]「巨人・出口王仁三郎の黙示」、『ムー』平成5年(1993年)2月号〔15巻2号〕、p36、学習研究社、{{obn|2165}}
* 「ドイモイ(刷新)の進む社会主義国ベトナムで復興著しいカオダイ教とは」、『VIEWS』平成5年(1993年)5月26日号、p119、講談社、{{obn|2166}}
* [[川崎喜久子]]「「大本」教団の成立と活動(2)」、『社会学論叢』平成5年(1993年)6月号〔通号117号〕、p61、日本大学社会学会、{{obn|2167}}
* [[岡田信子]]「生きた、愛した、時代をつくった日本を創った女たち 第69回 大本教開祖 出口なお」、『週刊女性』平成5年(1993年)8月17日号、p174、主婦と生活社、{{obn|2168}}
* [[佐高信]]「男言葉と改憲論」、『世界』平成6年(1994年)2月号、p238、岩波書店、{{obn|2169}}
* [[佐高信]]「風速計 エスペラント(大本教のエスペラント運動支援)」、『週刊金曜日』平成7年(1995年)4月28日号、p4、金曜日、{{obn|2170}}
* [[原田実]]「私が出会ったもうひとりの「カリスマ」──武田崇元とオカルト雑誌『ムー』、の軌跡」平成7年(1995年)11月号『宝島30』、p138~147、宝島社、{{obn|2171}}
* [[武田崇元]](インタビュー・中島渉)「80年代オカルト一代記!」、『宝島30』平成8年(1996年)1月号、宝島社、{{obn|2172}}
* [[大橋幸泰]]「安丸良夫著「出口なお」を読む」、『民衆史研究』平成8年(1996年)11月号〔通号52号〕、p16~25、民衆史研究会、{{obn|2173}}
* [[南伸坊]]・[[能美勉]]「渥美清とヴィンセント・エドワーズ、ラスプーチンと出口王仁三郎、野口英世とマタ・ハリ」、『太陽』平成8年(1996年)11月号〔34巻12号〕、p149、博文館、{{obn|2174}}
* 「(アートニュース)出口すみこの芸術・ほか」、『日経アート』平成11年(1999年)1月号〔12巻1号〕、p69~76、日本経済新聞社、{{obn|2175}}
* [[武田崇元]]「昭和神聖会と出口王仁三郎」、『福神』平成11年(1999年)12月号〔通号2号〕、p46~56、福神研究所、{{obn|2176}}
* [[武田崇元]]「平田篤胤から国家神道へ」、『福神』平成12年(2000年)3月号〔通号3号〕、p69~77、福神研究所、{{obn|2177}}
* [[五十嵐太郎]]「復元思想の社会史(第19回)宗教建築の破壊と創造──大本教の弾圧をめぐって 」、『住宅建築』平成12年(2000年)8月号〔通号305号〕、p158、建築資料研究社、{{obn|2178}}
* [[藤野七穂]]「偽史源流行(18)反大本運動の中の皇道宣揚会」、『歴史読本』平成13年(2001年)6月号、p220、新人物往来社、{{obn|2180}}
* [[熊田一雄]]「大本聖師のトランスジェンダー志向を再考する 」、『愛知学院大学文学部紀要』平成14年(2002年)、p1、愛知学院大学文学会、{{obn|2181}}
* [[広瀬浩二郎]]「人類愛善運動の史的意義──大本教のエスペラント・芸術・武道・農業への取り組み」、『国立民族学博物館研究報告』平成14年(2002年)〔27巻1号〕、p1-24、国立民族学博物館、{{obn|2182}}
* [[津城寛文]]「国体思想・大本霊学・日蓮主義」、『神道宗教』平成14年(2002年)4月号、p128、神道宗教学会、{{obn|2183}}
* [[森孝一]]「出口王仁三郎の陶芸について──出口王仁三郎とその一門の作品展より」、『陶説』平成14年(2002年)9月号〔通号594号〕、p46、日本陶磁協会、{{obn|2184}}
* [[藤村耕治]]「大本と高橋和巳『邪宗門』──現実を峻拒する宗教」平成15年(2003年)5月号『国文学 解釈と教材の研究』、p93、学灯社、{{obn|2185}}
* [[熊田一雄]]「大衆宗教と男らしさ──出口王仁三郎の言説から」、『現代のエスプリ』平成16年(2004年)9月号2004年9月号、p163-172、ぎょうせい、{{obn|2186}}
* [[窪田英樹]]「天皇制に関する研究──大本教典「霊界物語」の神格論を巡る第2次大本事件裁判記録」、『Journal of IOND University』平成17年(2005年)1月号、p193~223、イオンド大学出版局、{{obn|2187}}
* [[兵頭晶子]]「大正期の「精神」概念──大本教と『変態心理』の相克を通して」平成17年(2005年)6月号(通号344号)『宗教研究』、p97~120、日本宗教学会、{{obn|2188}}
* [[豊嶋泰國]]「出口王仁三郎 超凡の巨人か「怪物」か」、『歴史読本』平成18年(2006年)3月号、p130-136、新人物往来社、{{obn|2189}}
* [[牧野史敬]]「出口王仁三郎の霊界に学ぶ」、『アネモネ』平成18年(2006年)4月号、p42-43、ビオ・マガジン、{{obn|2190}}
* 「13の有名夫婦怪事件簿3 出口王仁三郎・すみ 信仰と弾圧の狭間で」、『新潮45』平成18年(2006年)4月号、p42-44、新潮社、{{obn|2191}}
* [[出口信一]]「「文明の共存」実現への鍵を持つ「日本的神観」の再認識を」、『月刊日本』平成18年(2006年)11月号、p86-91、K&Kプレス、{{obn|2192}}
* [[出口信一]](解説)「みやびのことば」、『アネモネ』平成19年(2007年)3月号、p20-21、ビオ・マガジン、{{obn|2193}}

== 令和 ==


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