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当初は月刊、大正11年10月から10日・25日の月2回発行<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c4224|新機運の動向}}」</ref>、大正13年(1924年)8月からはそれまでのB5版をB6版(約100頁)にあらためて月2回発行となり、大正14年8月からは月刊に戻る<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c4444|国内宣教と造営}}」</ref>。昭和4年(1929年)3月からはA5版となる<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5132|本部の体制}}」</ref>。昭和7年(1932年)4月頃の発行部数は1万5千部だった<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5421|本部での動き}}」</ref>。 大正14年(1925年)11月号は11月11日に発禁となり原稿が押収される<ref>『真如の光』大正14年(1925年)11月15日号p48</ref>。
昭和7年(1932年)10月号から発行日が毎月10日から1日に変更となる<ref>『神の国』昭和7年(1932年)9月号p93「編輯後記」</ref>。
昭和10年(1935年)12月号(第15巻第12号・通巻第203号)まで発行されたが、以後は[[第二次大本事件]]により廃刊となった。