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国依別
,→概要
* 性格は、洒脱、豪放、小事にあくせくせず、何事にも無頓着。<ref>{{rm|21|15|化地蔵}}:「心の底より国依別の洒脱なる気品に惚込み」、{{rm|69|1|大評定}}:「国照別は父国依別の洒脱にして豪放な気分を受け」、{{rm|69|3|喬育}}:「国依別は元来磊落豪放にして、小事に齷齪せず、何事に対しても無頓着なる性質とて」</ref>
* 女癖が悪く、若い時から、女殺し、後家倒し、家潰し、などと言われて来た。先妻の[[お国]]は宗彦の不品行を苦にして溜め池に飛び込み自殺をした。その後、お勝を妻にし、お国の霊を恐れて旅をしている。<ref name="rm2005">{{rm|20|5|親不知}}:「私も今こそ、斯うして猫の様に温順しくなつて了つたが、随分名代の悪者でしたよ。家妻を貰つては赤裸にして追出し、押かけ婿にいつては、其家を潰し、何度となく嬶泣かせの家潰しや、後家倒し借り倒しなど、悪い事の有らむ限りを尽して来た所、最後の女房が私の不身持を苦にして、裏の溜池へドンブリコとやつて、ブルブルブル、波立つ泡と共に寂滅為楽となつて了つた。それから直に此お勝を女房となし」、{{rm|21|15|化地蔵}}:地蔵のセリフ「オイ国依別、イヤ女殺しの後家倒しの、宗彦の巡礼上りの宣伝使、貴様の翫弄した女達に、今此処で会はしてやらうか」、他</ref>
* 幼名は「竹」<ref>{{rm|20|6|梅花の痣}}:「ハイ子供の時は竹と云ひました。バラモン教から宗彦といふ名を貰つたのです」</ref>(竹公)。出身は熊野辺り。丙午の年に生まれた。両親は誰だか分からない。悪人に攫われて、大台ケ原の山奥の岩窟に長い間閉じ込められていた。そこへ立派な神様(誰かは不明)が現れて、「お前はこれから浪速の里へ出て苦労せよ。一人前になったら世界を巡礼せよ」と言われた。成人して、酒を呑むようになり、幾度か養子に行ったり、家を持ったりしたが、窮屈で飛び出し、自暴酒を呑んで女房に心配をかけ、幾人も女房を先立たせた。(竹公<ref>{{rm|21|15|化地蔵}}:「貴様の名はヤツパリ'''竹公'''又の名は宗彦、右の腕に梅の花の斑紋があると云ふ事が記してある」</ref>)。出身は熊野辺り。丙午の年に生まれた。両親は誰だか分からない。悪人に攫われて、大台ケ原の山奥の岩窟に長い間閉じ込められていた。そこへ立派な神様(誰かは不明)が現れて、「お前はこれから浪速の里へ出て苦労せよ。一人前になったら世界を巡礼せよ」と言われた。成人して、酒を呑むようになり、幾度か養子に行ったり、家を持ったりしたが、窮屈で飛び出し、自暴酒を呑んで女房に心配をかけ、幾人も女房を先立たせた。<ref>{{rm|20|6|梅花の痣}}:「私も実の所両親がわからず、他人から熊野辺の生れだと子供の時分に聞いたことがあります。私は大台ケ原の山奥の巌窟に悪神に攫へられて、長らく閉ぢこめられて居りました。其処へ立派な神様が現はれて、「お前はこれから浪速の里へ往て苦労せよ。一人前になつたら世界を順礼せい」と仰有いました(略)さうして私も兄弟が三人あつたさうです(略)漸く成人して牛馬にも踏まれないやうになつた頃から、徐々酒を呑み、そこら辺りへ養子にも幾度か行つて見、又家も持つて見ましたが、何分子供の時分から乞食のやうに、其処中を彷徨うて育つて来たものですから、家を持つの、養子に往くのと云ふことは窮屈でツイ飛び出し、自棄酒を呑んで女房に心配をかけ、沢山の女房を先立たしました。或人に聞けば私は丙午の年に生れたとかで、女に祟る身魂ぢやさうです」</ref> ({{rm|20|6|梅花の痣}}で両親が[[松鷹彦]]・[[お竹]]だと判明する。「[[#主なエピソード]]」を参照)
== 関係の深い人物 ==