大本楽天社
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大本楽天社(おおもとらくてんしゃ)は、大本の関連団体で、芸術活動を行う。
- 亀岡の中矢田農園では、大本(当時は愛善苑)の新発足前から出口家を中心として歌会が行われていた。また謡曲・仕舞や茶道の稽古も続けられていた。昭和20年(1945年)春からはこれらの活動が王仁三郎によって「楽天社」と命名された。[1]
- 昭和21年(1946年)4月25日、中矢田農園で楽天社の第一回謡曲・仕舞の解が催され、5月29日には短歌会が開かれた。[1]
- 昭和22年(1947年)3月、楽天社に文芸・美術・工芸・演能・音楽・演劇・理論の各部門が置かれ、生活の芸術化に努めることとなった。[1]
- 昭和24年10月29日、教団名が愛善苑から大本愛善苑に変更され、機構改革に伴い、「大本楽天社」に改称された。それまでは本部芸術課に所属する一運動体だったが、全国的な結社組織となり、独立の運動体として芸術運動を展開することとなった。[2]