根本学社(こんぽんがくしゃ)は、大正3年(1914年)8月15日に機関誌『敷島新報』と同時に設置された、大本の教学・教育などの研鑽を目的とする機関。
学長には飯森正芳(海軍予備機関中佐)、顧問に福中鉄三郎(同中佐)が就いた。
大正5年(1916年)4月11日に根本学社から『このみち』が創刊された。