五六七の世までも忘れない
五六七の世までも忘れない(みろくのよまでもわすれない)とは、霊界物語で使われている表現。
【用例】
- 〈貴方の御親切は孫子の時代は愚か、五六七の世まで決して忘れは致しませぬ〉〔第8巻第38章「華燭の典」#〕
- 〈一度お顔を拝んだが最後、万劫末代五六七の代までも忘れることの出来ないやうな、すごい様な恐ろしい別嬪だ〉〔第14巻第8章「泥の川」#〕
- 〈天にも地にも代へ難き御高恩、万劫末代、ミロクの代までも忘れは致しませぬ〉〔第66巻第11章「亞魔の河」#〕
- 〈お蔭で命を救うて頂きました。此御恩はミロクの世迄も忘れは致しませぬ〉〔第68巻第17章「地の岩戸」#〕
世間一般で「何時までも忘れない」「死ぬまでも忘れない」「子々孫々までも忘れない」などの表現があるが、それを王仁三郎がアレンジしたものだと思われる。
ただし宮田登 著『ミロク信仰の研究』によると、仏教の弥勒信仰において北陸地方で「五六七の世まで」云々という言い回しが使われていたという。
奥能登の町や村では、ちょっとした冗談口に「お前のような奴は、弥勒の世になっても借金を返すまいから貸さない」といったり(略)「こんなうまいことは、弥勒の世代にもないことじゃ」などともいったりするという。
きわめて日常的意識の中で、「ミロクの世」はなかなか実現しにくい未来のことを示している。富山県高岡市でも「弥勒様の世になっても」という場合、未来永劫望みはなしという意味を表わすといっている。
出典:『ミロク信仰の研究 新訂版』pp.25-26