天の数歌
天の数歌(あまのかずうた)とは、一から万まで13種の数の言霊で、「宇宙進化の理法」[1]を説いたもの。広い意味での祝詞の一種。単に「数歌」とも呼ぶ。
天の数歌は日本古来より伝わり、主に鎮魂の法として使われる(後述)。それは秘儀的なものであったが、一般に広めたのは出口王仁三郎だと思われる。本項では王仁三郎が教示する天の数歌を中心に解説する。
数の解義
天の数歌で唱える数は一から万までの次の13種である。ただし一から十までの10種の場合もある。
一《ひと》、二《ふた》、三《み》、四《よ》、五《いつ》、六《むゆ》、七《なな》、八《や》、九《ここの》、十《たり》、百《もも》、千《ち》、万《よろづ》[2]
出口王仁三郎はこの数に、次のような独自の文字を当てはめ、独自の意味を付与した。この文字は感謝祈願詞(第60巻第16章「祈言」#)で使われており、天祥地瑞(第73巻第10章「婚ぎの御歌」#)でその意味が説明されている。
- 一/一霊四魂《ひと》:一は霊也、火也、日也。
- 二/八力《ふた》:二は力《ちから》也、吹く呼吸《いき》也。
- 三/三元《み》:三は体《たい》也、元素也。
- 四/世《よ》:四は世界の世《よ》也。
- 五/出《いつ》:五は出《いづ》る也。
- 六/燃《むゆ》:六は燃《むゆ》る也。
- 七/地成《なな》:七は地《ち》成《な》る也。
- 八/弥《や》:八は弥々《いよいよ》益々《ますます》の意也。
- 九/凝《ここの》:九は凝《こ》り固《かたま》るの意也。
- 十/足《たり》:十は完成の意也。
- 百/諸《もも》:百は諸々《もろもろ》の意也。
- 千/血《ち》:千は光《ひかり》也、血汐の血《ち》也。
- 万/夜出《よろづ》:万は夜《よ》出《いづ》るの意也。
また、十曜の神旗の十曜は天の数歌の一から十までに該当し、その各数を霊界物語第13巻の中で次のように説明している。
つまり天の数歌とは一言で簡潔に言うと「宇宙進化の理法」ということになる。
このような意味付けは、古くは『神霊界』大正7年(1918年)5月1日号掲載記事「帰神に就て」[3])の中で次のように示されている。
一、幽の幽神……霊《ひ》力《ふ》体《み》
ニ、幽の顕神……世《よ》出《い》燃《む》
三、顕の幽神……地成《な》弥《や》凝《こ》
四、顕の顕神……足《と》諸《もも》地《ち》夜出《よろづ》
活用
大本で次のような時に天の数歌が奏上される。(時代によって変遷があるかも知れない)
- 大神鎮座祭
- 葬祭の招魂式
- 合祀祭
- 祖霊鎮祭
- 遷座祭
- 節分大祭
- 病気等のお取次ぎ
など。
天の数歌は3回唱える。
- 鎮祭や招魂の時は「ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここの、たりやー」を2回、「ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここの、たり、もも、ち、よろづ」を1回唱える。
- お取次ぎの時は「ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここの、たり、フルベユラユラ」を2回、「ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここの、たり、フルベユラ、フルベユラユラ」を1回唱える。
これらは大本祭式に記されている。
- 大正15年(1926年)刊NDLDL蔵書『大本祭式 改訂4版』 PID:921523
- 昭和6年(1931年)刊NDLDL蔵書『大本祭式 改訂7版』 PID:1137283
- 昭和9年(1934年)刊NDLDL蔵書『皇道大本祭式 改訂8版』 PID:1137506
現代の大本祭式も内容はほぼ同じである。
戦前は鎮魂帰神の際にも天の数歌が唱えられた。
起源と伝承
旧事本紀
出口王仁三郎は十曜の神旗の説明[4]の中で、〈上古天照大御神が天の岩戸に隠れ給へる際、天之宇受売命が歌ひ給へる天の数歌に則りしものなり〉と教えている。また、〈天の数歌は天之宇受売命に始まり、後世に到りては鎮魂祭の際に、猿女の君に擬したる巫女が受気槽《うけぶね》を伏せて、其上に立ち鉾《ほこ》を槽《ろ》に衝立て此歌を謡ひ、以て天皇の御寿命長久を祈りしものなり〉と教えている。
上記のように王仁三郎はウヅメが唱えたのが天の数歌の起源だという。しかし古事記や日本書紀の天岩屋戸の段には、ウヅメが数歌を唱えたというような記述は無い。旧事本紀に天の数歌が記されている。天照大神がニギハヤヒに十種の神宝(とくさのかんだから)と共に天の数歌を与えている。
【神宮文庫・十巻本】「先代旧事本紀」、黒板勝美 編『国史大系 第7巻 新訂増補』昭和11年(1936年)、国史大系刊行会
白河本や大成経は十巻本をもとに江戸時代に作成されたものなので史料価値は低いが参考までに記しておく。
【白河本・三十巻本】三重貞亮 撰 『旧事紀訓解 上巻』昭和19年(1944年)、明世堂書店
- 401頁:天照大神が饒速日命に十種の神宝を与えた時に、「一二三四五六七八九十《ひふみよいむなやこと》布瑠部《ふるへ》由良由良登《ゆらゆらと》布瑠部《ふるへ》」という誦文を教えた。NDLDL蔵書 PID:1920817/1/226
- 547頁、NDLDL蔵書 PID:1920817/1/299
- 656頁:神武元年11月、十種の神宝を祭り鎮魂祭が始まる。〈鎮魂祭ハ白河神祇伯ノ家ニ伝来シテ、神秘最上ノ祭礼ナリ〉。この鎮魂祭で猿女君(ウヅメの子孫)が「一二三四五六七八九十《ひふみよいむなやこと》」と歌い舞う。NDLDL蔵書 PID:1920817/1/354
- 367頁:天照大神が岩戸に籠もった時、思兼命は神楽を歌った。八百万の神々も共に歌った。ウヅメは舞いながら歌った。(この歌が天の数歌だと解釈されるらしい)NDLDL蔵書 PID:1920817/1/209
【鷦鷯《さざい》本・旧事本紀大成経】宮東斎臣 編『先代旧事本紀大成経 : 鷦鷯伝』昭和56年(1981年)、先代旧事本紀刊行会
- 130頁:ウヅメが神楽を舞い歌った。NDLDL蔵書 PID:12269121/1/77
- 144頁:天火明玉尊(ニギハヤヒ)が地上に降るときに天照大神が十種の神宝を授け、「一二三四五六七八九十《ひふみよいむなやこと》」という誦文を教えた。NDLDL蔵書 PID:12269121/1/84
王仁三郎は、十種の神宝とは天の数歌のことだと教えている。
- 『新月の光』0418「饒速日命と二二岐命」:〈饒速日命は十種の神宝、二二岐命は三種の神器をもらわれた。王仁は饒速日だ。十種の神宝は天の数歌の一二三四五六七八九十のことで、十種は十曜だから王仁は十曜の紋をつける。〉(昭和17年の発言)
その他の古文書
旧事本紀以外の古文書としては、9世紀頃成立した「令集解」に、十種の神宝と天の数歌が記されている。
- 「令集解」、黒板勝美 編『国史大系 第23巻 新訂増補』昭和18年(1943年)、国史大系刊行会、31頁、NDLDL蔵書 PID:3431636/1/27
宮中
宮中儀式の中に天の数歌が伝えられている。新嘗祭の前夜に行われる鎮魂祭で、天の数歌が唱えられている。
- 鎮魂祭 - ウィキペディア:宮中で新嘗祭の前日に天皇の鎮魂を行う儀式。
- 勝山健雄 著『祭典略解 上』明治16年(1883年)、18頁~、NDLDL蔵書 PID:815390/1/25:〈鎮魂祭は仲冬寅日に皇上並后宮の御魂を鎮奉り己日に東宮の御魂を齋鎮むるは更なり庶人の身の上にも非常のことある時は招魂すべき祭祀なるを以て鎮魂祭とは云ふなり〉〈天鈿女命の裔たる御坐猿女君ら宇気槽の上に立て桙もて其槽を撞とどろかし比登布多美余伊都牟由那々夜許々能多理と天の数歌を唱へ十種神宝の数に合する事を代々職れるなり
- 出口王仁三郎「大本言霊解#」の末尾、『神霊界』大正8年(1919年)9月15日号、3頁:〈畏くも大嘗祭の御時に用ゐらるる鎮魂祭の八首の秘歌も(略)次に ヒフミヨイムナヤコト の数歌を十回唱へらるるのであります。〉[5]
- 日本政治文化研究所 編『研究紀要 第163号 大嘗祭(上)』平成2年(1990年)7月、日本政治文化研究所、63頁・67頁、NDLDL蔵書 PID:1386023/1/33:大嘗祭(新しい天皇が最初に行う新嘗祭)に関する記事の中で次のようなことが記されている。前夜に行われる鎮魂祭において神楽が舞われ、神職が「一二三四五六七八九十《ひふみよいむなやこと》」と唱える。〈この唱え言《ごと》は古来〝鎮魂の秘呪《ひじゅ》〟として尊重されているものである。〉〈神話によればアマテラスオホカミがスサノヲノミコトの荒びに因り、天の岩屋戸にひきこもられて世界が闇黒になったとき、岩戸開きの司祭者が唱えた祝詞がこの〝鎮魂の秘呪〟であり、またオホミカミが外の賑々しさに閉ざしていた岩戸を開かれ暗黒の闇から次々に万象の姿が現われてきたさまをみて神々がこれを祝って唱えたのも、この数歌であったという。わが上代人は、生成発展する産霊の形相をヒトフタミヨの数詞のコトタマを以て把握し、これを天津祝詞の太祝詞《ふとのりとごと》として伝承していたのである。〉。
- 小林美元「神道の国際性」、吾郷清彦・鹿島曻 編『神道理論体系』昭和59年(1984年)、新国民社、152~153頁、NDLDL蔵書 PID:12262197/1/80
石上神宮
石上神宮(奈良県天理市)に天の数歌が伝えられている。石上神宮は物部氏(ニギハヤヒの子孫)の総氏神。前述の旧事本紀によると天照大神はニギハヤヒに十種の神宝と共に天の数歌を与えた。
石上神宮に伝わる「十種祓詞」の一つ「布留の言(ふるのこと)」が天の数歌である。また47文字の「ひふみ祓詞」(後述の「ひふみ祝詞」)もある。
- 石上神宮(公式サイト)
- 石上神宮 - ウィキペディア
- 朝拝で「布留の言」や「ひふみ祓詞」が唱えられる。
- 朝拝に参加されませんか(公式サイト)
- 参考サイト1
- 11月22日(新嘗祭の前日)に石上神宮でも鎮魂祭が行われる。
- この鎮魂祭は他に、島根県の物部神社(岩見国一宮)や新潟県の弥彦神社(越後国一宮)にも伝えられている。[6]
ひふみ祝詞
天の数歌と類似のものに「ひふみ祝詞」がある。前述の石上神宮に伝えられている「ひふみ祓詞」と同じである。「ひふみ祝詞」という呼び方は、おそらく日月神示に記されているものが一般に広まったものと思われる。
日月神示の「鉄鉄《くろがね》の巻」第39帖に「あめつちの数歌」(天の数歌)と「ひふみ祝詞」が掲載されている。
あめつちの数歌
ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここノ、たり。
ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここノ、たり。
ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここノ、たり、もも、ち、よろづ。
ひふみ祝詞
ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ
そをたはくめか うおえ にさりへて のますあせゑほれけ。
ひふみ祝詞は五十音から重複する3音(いうえ)を除いた47音を唱えるもので、最初の13音(ひふみ よいむなや こともちろ)が天の数歌の13数に該当するものと思われる(最後の「ろ」は「よろづ」の「ろ」と解釈した場合)。
王仁三郎はこの47声による「ひふみ祝詞(祓詞)」について何も言及していない。大本内で唱えられることはない。
本田親徳
神道霊学の方面で王仁三郎に多大な影響を与えた人物に国学者の本田親徳がいる。本田は天の数歌(一から十まで)の意味を次のような漢字を宛てて説いている。王仁三郎のものとは多少文字が異なるが意味的には同じであろう。
- 本田親徳:霊止《ひと》、活力《ふた》、体《み》、因《よ》、出《いつ》、燃《むゆ》、地成《なな》、弥《や》、凝《ここ》、足《たり》[8]
- 王仁三郎:一霊四魂《ひと》、八力《ふた》、三元《み》、世《よ》、出《いつ》、燃《むゆ》、地成《なな》、弥《や》、凝《ここの》、足《たり》
本田親徳による「禁厭法」という文書には、禁厭(きんえん。まじないによって病気や災難を防ぐこと)の法の手順が記されており、その中に天の数歌が〈比止 布太 身 与 出 武与 奈那 弥 古此 多里 布留部由良由良〉と書かれている。また、ひふみ祝詞が〈ヒフミヨイムナヤコトモチロラネシキルユヰツワヌソヲタハクメカウオヱニサリヘテノマスアセエホレケ〉と書かれている。また注意事項として〈比布美ノ文ヲ唱ヘ「九ノ十リ」ノ末に布留部由良由良ト必ズ唱フ 神懸ノ折ハ比布美ノ「九十」ノ末ニ百千万ト唱ヘテ布留部ハ云ハズ〉と書かれている。[9] [10]
本田はこれらを「天の数歌」「ひふみ祝詞」とは呼んでいない。何と呼んでいたのかは不明。
霊界物語
霊界物語で天の数歌は、登場人物によって頻繁に奏上される。全2108章のうち170章以上に天の数歌を奏上するシーンが登場する。鎮魂の時や、何らかの危機に陥った時に唱える場合が多い。
第56巻第10章「十字」#で三五教の求道居士が次のように語っている。〈一番尊い事と云ふのは天の数歌といつて「一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、百千万」と唱へるのだ。之は天地開闢の初から今日に至る迄、無限絶対力の神様が此天地を創造し、神徳を世界に充たし愛善の徳と信真の光明を吾々人間にお授け下さる神文だ。そして「惟神霊幸倍坐世」と後で唱へるのだ。之に越したる尊い言葉は三千世界にないのだ(略)〉
関連項目
脚注
- ↑ 霊界物語第13巻総説#
- ↑ 「よろづ」は旧仮名遣い。新仮名遣いでは「よろず」
- ↑ 『出口王仁三郎全集 第1巻』「第三章 皇国伝来の神法#」に再録されている。
- ↑ 霊界物語第13巻総説#
- ↑ 『新月の光』0024「魂反しの神法」によると、王仁三郎は大正7年に井上留五郎に対して〈死人を助ける魂反し〉の法を教えているが、内容は「大本言霊解#」に記されたものとほぼ同じである。また、霊界物語第75巻第11章「魂反し」#に「八種の神歌(やくさのみうた)」が記されている。
- ↑ 物部神社の公式サイト内のページ「鎮魂祭」:〈この鎮魂祭を古くから伝承し斎行しています神社は奈良県石上神宮(物部の鎮魂法)・新潟県弥彦神社(中臣の鎮魂法)・島根県物部神社(物部・猿女の鎮魂法)の三社です。特に物部神社の鎮魂祭は宮中において斎行される鎮魂祭に最も近いものです。〉(2025/3/22閲覧)
- ↑ 『ひふみ神示 下巻』平成3年(1991年)、発行:コスモ・テン・パブリケーション、発売・太陽出版、108~109頁
- ↑ 鈴木重道『本田親徳研究』昭和52年(1977年)、山雅房、60頁
- ↑ 鈴木重道 編纂校訂『本田親徳全集(全)』昭和59年(1984年)新装版第二版、八幡書店、365~367頁
- ↑ 『本田親徳全集(全)』には他にも、360頁にひふみ祝詞が〈朝暮神前ニテ唱言〉として、362頁には天の数歌が神懸の際にそれを心に念じながら竹笛を吹くものとして、その文言が書かれている。